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『涯の美学』-川端康成と三島由紀夫、最後の交信-

天才が、天才を殺すための〝凶器〟は、美しすぎた。


あらすじ

1975年、東京。文芸編集者を辞め、物書きとして生きる小林 誠は、三年前の記憶に今も苛まれていた。それは、ノーベル賞作家・川端康成が自ら命を絶つ数時間前、彼からかかってきた一本の電話を、多忙を理由に早々に切り上げてしまったことへの罪悪感だった。

そんな彼の元に、川端の死を俗説で解説する本が出版されるという話が舞い込む。師の名誉を守り、そして自らの魂を救済するため、小林は川端の死と、その17ヶ月前に起きた三島由紀夫の衝撃的な自決とを結びつける、ある「空白」の謎を解き明かす決意をする。

鍵は、三島が死の当日に川端へ贈ったとされる、行方不明の古硯『無明』。小林は、スキャンダルを追うライバル評論家・佐伯の妨害に遭いながらも、地道な調査で硯の来歴を追う。やがて、その硯がかつて二・二六事件で自決した青年将校の所有物であったことを突き止める。

全ての謎が集約される伊豆の山寺で、小林はついに封印された硯と対面する。硯の裏に刻まれた三島の挑戦状。そして、その奥に隠されていた、川端自身の筆跡による、あまりにも静かな、しかし恐ろしいほどの覚悟を秘めた最後の言葉。

それは、文学史の闇に葬られた、天才二人が互いの魂を賭して繰り広げた、壮絶な闘争の記録。そして、美に魅入られた人間の、哀しくも気高い魂の軌跡を描く物語である。


登場人物紹介

小林 誠(こばやし まこと)

本作の主人公であり、語り手。30代半ば。元・大手文芸誌の編集者で、現在はフリーのライター。川端・三島の両名に師事し、その才能を敬愛していた。川端からの最後の電話を疎かにしてしまったことに深い罪悪感を抱えており、彼の死の真相を追うことは、自らの魂を救済するための旅でもある。真実に対して誠実だが、時にその執念が自身を危険に晒す。

川端 康成(かわばた やすなり)

日本初のノーベル文学賞作家。繊細な美意識の奥に、深い虚無と死への親和性を隠し持つ。栄光の頂点で孤独を深め、三島の鮮烈な死に大きな衝撃を受ける。物語の中では、小林の回想と、残された者たちの証言を通して、その晩年の姿が徐々に浮かび上がっていく。

三島 由紀夫(みしま ゆきお)

川端と並び称される天才作家。文武両道を掲げ、行動的な美学を追求する。師である川端を敬愛しつつも、その静的な世界に満足できず、自らの死をもって文学と美を完成させようとする。本作では、彼の死が、川端に向けた最後の、そして最も残酷な「作品」であったという視点で描かれる。

佐伯(さえき)

小林と競合する若手評論家。本作の敵対者(アンタゴニスト)。「真実よりも売れる物語」を信条とし、ゴシップやスキャンダルを追って川端の周辺を嗅ぎ回る。小林の調査を妨害し、時に彼を挑発するが、その行動は皮肉にも小林が真実へ向かう原動力の一つとなる。


序幕:鳴り響く電話

電話が鳴ったのは、確か、午前二時をとうに過ぎた頃だった。

インクと古紙の、甘く乾いた匂いが染みついた四畳半のアパートで、私は山のような校正紙に埋もれていた。疲労と眠気で思考は鈍り、とろりとした珈琲の澱だけが胃の腑に溜まっていく。黒電話のけたたましいベルの音は、そんなインク壺の底のような静寂を、無遠慮に引き裂いた。受話器を取る。予感はあった。こんな時間に、常識という外套を脱ぎ捨てて電話をかけてくる人間は、私の知る限り、この世で一人しかいなかった。

「……小林くん」

受話器の向こうから聞こえてきたのは、やはり川端先生の声だった。それはいつも通り、霧の向こうから響いてくるような、あるいは古井戸の底から囁きかけてくるような、現世の肉体を離れた魂の震えにも似た、か細い声だった。その声を聞くと、こちらの時間までが、まるで古い柱時計の振り子のように、ゆっくりと揺れ始めるのだった。

「先生。何かご用件でしょうか」

私は、校正用の赤鉛筆を置くことなく、素気なく答えた。若さと、締め切りに追われる編集者特有の傲慢さが、私をそうさせたのだ。巨匠からの電話といえど、それは日常の一部であり、時に厄介な雑音でさえあった。時計の秒針の音が、やけに大きく聞こえる。

沈黙が続いた。電話線の向こうで、先生がただ息をしている気配だけが、死んだ回線のように伝わってくる。やがて、ぽつりと言った。

「……美しいかね、月は」

その言葉には何の抑揚もなかった。感情というものが、完全に抜け落ちていた。私は苛立ちまぎれに、インクで汚れた指で窓のカーテンを開けたが、隣の雑居ビルの壁が、巨大な墓標のようにそそり立っているだけで、月など見えるはずもなかった。都会の夜空は、ただ鈍色に濁っているだけだ。

「さあ。見ていませんので」 「そうか」

また、沈黙が落ちる。私は、この不毛なやり取りを終わらせたかった。明日の朝には、入稿しなければならない原稿が、この山のどこかにあるのだ。

「先生、申し訳ありませんが、今少し立て込んでおりまして。また後日に、こちらから」 「……ああ、うん」

先生は、何かを言いかけたようだった。それは「さ」という音にも、「ま」という音にも聞こえた。しかし、その言葉は音になる前に霧の中へと消えた。私はそれを待たずして、「では、失礼いたします」と一方的に告げ、ガチャン、と黒い受話器を置いた。

それが、川端康成と交わした最後の言葉になった。 翌日の夕方、私は編集部で、無機質なテロップが流れるテレビのニュース速報によって、彼の訃報を知った。

1975年、秋。 あの夜から、三年という歳月が流れていた。 私は出版社を辞め、文筆業の真似事のようなことをして、その日暮らしの生活を送っていた。あの夜の記憶は、時折、古い傷のように疼いた。深夜の電話の音を聞くたび、私は受話器を取ることを躊躇するようになった。川端先生の最後の言葉が、私の中で消えない残響となっていた。あれは、SOSだったのではないか。あの沈黙の中に、助けを求める声が隠されていたのではないか。

その日、私は神保町の古書店街をあてもなく彷徨っていた。本の背表紙を眺めている時間だけが、現実の不安を忘れさせてくれた。駅の売店で、惰性で手に取った週刊誌。その見出しに、私の時間は、再び三年前のあの日へと引き戻された。

『文豪・川端康成、その死の真相 ― 秘められた女と金!』

若手の評論家・佐伯が署名したその記事は、ゴシップを繋ぎ合わせただけの、あまりにも安っぽい代物だった。私の腹の底から、冷たい怒りがこみ上げてきた。違う。断じて違う。あの人の死は、そんな陳腐な言葉で語られていいものではない。

同時に、声が聞こえた。お前に、何が分かるのか、と。最後の電話さえ、無下にしたお前に、先生の死の何を語る資格があるのか、と。

違う。だからこそ、やらなければならないのだ。 あの日、私が聞くことのなかった先生の言葉を、この手で見つけ出さなければならない。それは、師の名誉のためではない。私自身の、魂を救済するための、長い旅の始まりだった。

三島由紀夫が自決した、1970年11月25日。 そして、川端康成が死を選んだ、1972年4月16日。

二つの死を繋ぐ「空白の17ヶ月」に、一体何があったのか。私は、その闇に葬られた真実を追うことを、その日、決意した。すべては、あの一本の電話から始まっていたのだ。


第一部:偽りの迷宮

調査を開始するにあたり、私が最初に訪ねたのは、川端先生の遠縁にあたる親族の家だった。大手出版社の役員を務め、文壇にも顔が利くその男、杉田氏は、世田谷の閑静な住宅街に豪奢な邸宅を構えていた。私がこの調査の目的―先生の死の真相を、ゴシップではなく、純粋な文学的探求として明らかにしたい―を告げると、彼は眉ひとつ動かさずに、重々しく口を開いた。

「小林くん、君の気持ちは分かる。だがね、触れない方がいいこともある」

杉田氏は、私が持参した安物のウイスキーには目もくれず、磨き上げられた黒檀のテーブルに肘をついた。

「はっきり言おう。川端先生は晩年、ある若い女性にのめり込んでいた。君も知っているだろう、鎌倉の茶屋の…いや、名前は伏せよう。その女性に、かなりの額の金を渡していた。それが原因で、ご家庭内でも…」

男の言葉は、まるで見てきたかのように淀みがなかった。しかし、私にはそれが、あまりにも出来すぎた物語のように聞こえた。先生が、金や女といった、そんなありふれた理由で死を選ぶだろうか。いや、むしろ、そうであってほしいと願う者たちの、安易な願望ではないのか。

「それから…」杉田氏は続けた。「先生は、株でも大きな損失を出していた。ノーベル賞の賞金も、その多くが泡と消えたと聞いている。家の名誉のために、我々はそれをひた隠しにしてきたのだよ」

私は、礼を言ってその家を辞した。帰り道、冷たい秋風がコートの隙間から吹き込んでくる。杉田氏の言葉は、巧みに配置された偽りの標識のように、私を真実から遠ざけようとしていた。彼は、家の名を汚すスキャンダルを恐れるあまり、より陳腐なスキャンダルで真相を塗り固めようとしているのだ。

数週間、私はその偽情報に翻弄された。鎌倉へも足を運び、それらしき女性の噂を追ったが、全ては空振りに終わった。しかし、この無駄足は、私に一つの確信をもたらした。本当の謎は、そんな俗世の出来事の中にはない。それはもっと静かで、深く、そして美しい場所にあるはずだ。

調査が行き詰まり、焦りが募り始めていた頃、私はふと、ある人物のことを思い出した。川端先生の専属カメラマンとして、その晩年の姿を最も近くで撮影していた、島崎という老人だ。現役を引退し、今は都心から離れた郊外で、小さな写真館を営んでいると聞いていた。

私は、藁にもすがる思いでその写真館を訪ねた。島崎氏は、私の突然の訪問にも嫌な顔一つせず、奥の応接間に通してくれた。私が川端先生の死の真相を追っていることを告げると、彼は黙って目を伏せた。

「先生は…亡くなる少し前、ひどくお疲れのようだった」と、島崎氏は静かに語り始めた。「ノーベル賞というやつが、先生から何かを奪ってしまったのかもしれんな」

私は、単刀直入に尋ねた。「先生の書斎の写真を、見せていただくことはできませんか。三島事件の後の…先生が、一人で過ごされていた頃の写真を」

島崎氏はしばらく逡巡していたが、やがて鍵のかかった書棚から、分厚いアルバムを取り出してきた。「これは、誰にも見せたことはない」と呟き、彼はゆっくりとその頁をめくった。

そこに写し出されていたのは、私が知る、華やかな文豪の姿ではなかった。光を失い、深い孤独の影をまとった一人の老人が、ただ茫然と書斎に佇んでいた。1971年の冬に撮影されたというその写真の中で、私の目は、ある一点に釘付けになった。

文机の右隅。先生がいつも原稿用紙を広げていたその場所に、これまで見たこともない、黒々とした石の塊が鎮座していた。それは、ただの文鎮にしては大きく、禍々しいほどの存在感を放っていた。

「島崎さん、これは?」

私が指さすと、彼は首を傾げた。 「さあ…硯、でしょうな。いつからあそこにあったのか、私には覚えがない。ただ、先生はいつも、執筆の合間に、じっとその石を見つめておられましたよ。まるで、石と対話でもするようにね」

その瞬間、私の背筋を、冷たい電流のようなものが走った。これだ。私が探していた謎への入り口は、この黒い石に違いない。私は島崎氏に深々と頭を下げ、その写真を一枚、無理を言って譲り受けた。

偽りの迷宮を抜け出し、私はようやく、真実へと続く、か細い一本の糸を手繰り寄せたのだった。


第二部:物証

写真一枚だけが、私の羅針盤だった。

神保町の古書店街は、時間の地層が剥き出しになった迷宮だ。私はその迷宮を、一枚の写真を手に何日も彷徨い歩いた。古美術品を扱う店を見つけては、主(あるじ)に写真を見せ、この硯に心当たりはないかと尋ねて回った。しかし、大抵は「さあ」と首を傾げられるか、あるいは「うちではこういうものは扱わないね」と無愛想に追い返されるのが常だった。

捜査が暗礁に乗り上げかけた五日目の午後、私はすずらん通りから一本入った、古びたビルの奥に「文淵堂(ぶんえんどう)」という小さな看板を見つけた。埃をかぶったショーウィンドウの奥に、筆や硯が雑然と並べられている。引き戸を開けると、墨と古い木の匂いが、濃密な空気となって私を迎えた。

店の奥から現れたのは、八十歳は超えているであろう、痩身の老人だった。私が写真を見せると、老店主は分厚い眼鏡の奥で、初めて目を細めた。

「…ほう。これは珍しい」

店主は写真を預かると、店の奥から拡大鏡を持ってきた。写真に写った硯の、僅かな特徴を食い入るように見つめている。

「間違いありませんな。これは、うちから出た品です。南宋の端渓(たんけい)…『無明(むみょう)』という銘がついておりました」

『無明』。仏教で言うところの、迷いの根源。なんと不吉な銘だろうか。私の心臓が、大きく脈打った。 「いつ頃のことか、覚えておられますか」 「ええ、忘れませんとも。あのような方が、これほどの品を求めに来られたのですから」

店主が、その買い手の名を告げようとした、まさにその時だった。 チリン、と乾いた鈴の音がして、店の引き戸が開いた。そこに立っていたのは、ライバルの評論家・佐伯だった。彼は私を一瞥すると、人の悪い笑みを浮かべて店主の前に立った。

「親父さん、いい硯があるって聞いたぜ。俺は記事にするんだ。あんたの店も有名になる。俺にだけ、詳しく話してくれれば、情報料として高く買うぜ」

佐伯は、懐から無作法に一万円札を数枚取り出し、カウンターに叩きつけた。下品な金の匂いが、古美術の静謐な空気を汚していく。老店主の顔から、すっと表情が消えた。

彼は佐伯の札には目もくれず、私に向き直ると、静かに口を開いた。 「お客さん、あんたは、この硯の来歴を心から知りたいようだ。金のためでなく、物に宿る魂のためにね。お教えしましょう」

佐伯は「ちっ」と舌打ちをすると、札を乱暴に掴んで店から出て行った。嵐が去った後、老店主は店の奥から、和紙で綴じられた分厚い大福帳を取り出してきた。そして、震える指で一行を指し示した。そこには、私の呼吸を止めるのに十分な事実が、美しい毛筆で記されていた。

「昭和四十五年十一月二十四日。三島由紀夫様。古硯『無明』一基。但し、彫師・松風への依頼仲介を含む」

三島由紀夫が、死の前日に。 私の頭の中で、バラバラだったピースが、一つに繋がろうとしていた。問題は、彫師・松風に何を依頼したのか、だ。

「彫師の松風先生は、もう故人ですがね」店主は、茶をすすりながら語り始めた。「三島先生は、硯の裏に何かを彫ってほしい、と。何を彫ったかまでは、私も存じ上げません」

そして、店主は『無明』の硯が持つ、もう一つの物語を教えてくれた。 「あの硯は、元々、ある陸軍大佐が所蔵していたものでしてな。二・二六事件に関与し、自決された方です。その方が、辞世の句を詠むのに使ったのが、この『無明』だったと聞いております」

三島は、その来歴を知った上で、この硯を選んだのだ。単なる贈物ではない。自らがこれから成し遂げようとする「行動」と、その先にある「死」の歴史と哲学を、この黒い石に託したのだ。

私は店を出た。日は傾き、神保町の空は茜色に染まっていた。 三島が仕掛けた、あまりにも静かで、あまりにも美しい罠の輪郭が、夕闇の中に、ゆっくりと浮かび上がってきていた。


第三部:最後の目撃者たち

硯の来歴は掴んだ。だが、それが確実に三島から川端の手に渡ったという証拠がなければ、全ては私の推論に過ぎない。私は、最後のピースを埋めるため、最も困難な調査に取り掛かった。あの桐箱を届けた、最後の配達人を探すのだ。

それは、亡霊を追うような作業だった。 三島事件の後、「楯の会」のメンバーたちは散り散りになり、多くは過去を隠して社会の底に沈んでいた。私は国会図書館に通い詰め、当時の裁判記録や、思想系の雑誌のバックナンバーを読み漁った。何週間もかけた末に、事件に関与したものの、若さゆえに執行猶予付きの判決を受けた、一人の男の名前にたどり着いた。村松。それが、彼の姓だった。

現在の彼の居場所を突き止めるのには、さらに一ヶ月を要した。彼は、東京の東の外れ、荒川沿いの工業地帯で、小さな金属加工工場を営んでいた。

私が工場の事務所を訪ねると、油の匂いにまみれた作業着姿の男が、怪訝な顔で私を見据えた。歳は私とそう変わらないはずだが、その顔には、労働と歳月が刻んだ深い皺が走っていた。村松だった。

「楯の会…? 人違いでしょうな」 彼は、私が差し出した名刺に目を落とすこともなく、吐き捨てるように言った。過去を尋ねる者に対する、研ぎ澄まされた警戒心が、その全身から発せられていた。

「私は、ゴシップを追っているのではありません」私は、まっすぐに彼の目を見て言った。「これは、政治の話でもない。文学の話です。一人の師と、一人の弟子の、最後の対話についての物語なのです」

私の言葉に、村松の目の光が、わずかに揺らいだ。私は続けた。「あなたが届けた〝問い〟に、川端先生がどう答えたのか。それを見届けるのが、残された者の責任だと思うのです」

長い沈黙が、機械のうなり声だけが響く事務所に落ちた。やがて、彼は諦めたように息を吐き、汚れた布で手の油を拭った。

「…一度だけだ。これを話したら、二度と俺の前に現れないでください」

村松は、遠い目をして語り始めた。それは、1970年11月25日の、凍てつくような朝のことだったという。三島は、市ヶ谷へ向かう直前、あの桐箱を村松に手渡した。その時の三島の目は、鬼のようでもあり、仏のようでもあった、と彼は言った。

「三島先生は…俺の目をじっと見て、こうおっしゃった」 村松の声が、わずかに震えた。

「これは、贈物ではない。俺から川端先生への、最後の〝問い〟だ。お前が、その目で確かにお届けしろ。先生の手に渡る、その瞬間まで見届けろ、と」

村松は、その言葉の通り、桐箱を抱えて鎌倉の川端邸へ向かった。門前で待っていると、やがて門が開き、川端本人と顔を合わせたという。川端は何も言わず、ただ静かに桐箱を受け取ると、そのまま屋敷の奥へと消えていった。

「先生の目は…」村松は言葉を切った。「全てを、分かっている目でした」


第四部:解答

村松の証言で、点と点は完全に繋がった。三島が仕掛けた「心理的な凶器」は、確かに川端の手に渡っていたのだ。 残る謎はただ一つ。その硯は、今どこにあるのか。

私は再び、川端の死に至る「空白の17ヶ月」の行動記録の調査に戻った。日記、手帳、当時の鉄道の時刻表、そして杉田氏のような親族や、島崎氏のような関係者からの証言。それらの断片を、年表の上に一つ一つ配置していく。

ほとんどの期間、川端は鎌倉か逗子の自宅と仕事場に籠っていた。しかし、その中に、ぽつんと一つだけ、異質な記録があった。

1972年の4月初旬。彼が死ぬ、わずか数日前のこと。 彼は誰にも告げず、秘書だけを伴い、伊豆の山中にある禅寺・寂光院を、日帰りで訪れていた。そこは、檀家も少なく、世間から忘れられたような、小さな古刹だった。

なぜ、死の直前に、そんな場所へ? 私の全身を、確信にも似た予感が貫いた。 彼が、あの硯を手放すとすれば。三島からの呪縛を断ち切る、あるいは、その問いに答えた証として封印するとすれば、そこ以外にはない。

全ての物証と証言が、伊豆の山寺へと収束していく。私は、最後の旅支度を始めた。

伊豆の山々は、秋の深まりとともに、燃えるような赤と黄色に染まっていた。東京から電車とバスを乗り継ぎ、最後は険しい山道を徒歩で登った。俗世から隔絶されたその場所に、寂光院は、まるで時間の流れから取り残されたかのように静かに佇んでいた。

私を迎えたのは、掃き清められた境内の静寂と、歳を重ねた一本の銀杏の木、そして、その木のように枯淡とした老住職だった。私が名乗り、来訪の目的を告げると、住職は驚くでもなく、ただ静かに私を本堂へと招き入れた。

「川端先生の、ご供養のことですかな」 住職の穏やかな問いに、私はゆっくりと首を横に振った。 「いえ。先生が、亡くなる数日前に、ここに預けられたという桐箱について、お話を伺いに参りました」

その瞬間、住職の目の光が、剃刀のように鋭くなった。 「…お帰りなさい。そのことについては、何もお話しすることはない。故人との約束は、仏との約束も同じことです」

拒絶は、予期していた。私は、懐から数々の資料を取り出し、住職の前の畳に、一枚、また一枚と広げていった。

「これは、先生の書斎に置かれていた硯の写真です」 「これは、その硯を三島由紀夫が死の前日に購入したことを示す、古美術商の台帳の写しです」 「そしてこれは、その硯を『最後の問いだ』という三島の言葉と共に、川端先生に届けた男の証言です」

私は、積み上げてきた全ての調査結果を、静かに、しかし力を込めて語った。三島が硯に込めたであろう意図。川端が、その「問い」に17ヶ月間、苛まれ続けたであろう苦悩。

「住職。私は、ゴシップを暴きに来たのではありません。これは、川端先生の魂を救済するための、儀式なのです。三島由紀夫が仕掛けた呪いを、この手で解かなければ、先生は永遠に救われない」

私の声は、震えていた。それは、単なる説得の言葉ではなかった。私自身の、魂からの叫びだった。

老住職は、畳の上に広げられた資料を、長い時間、ただ黙って見つめていた。やがて、深く長い溜息をつくと、ゆっくりと立ち上がった。

「…よろしいでしょう。あなたになら、お見せするべきかもしれん。先生が本当に救いを求めていたのなら、このままでは、仏罰が当たる」

彼は、私を本堂の裏にある、古びた土蔵へと導いた。重い扉が開けられると、ひやりとした、長い時間が凝縮されたような空気が、私たちの肌を撫でた。蔵の奥深く、埃をかぶった棚の上に、その桐箱は、まるで主を待ち続けるように、静かに置かれていた。

住職が、厳かな手つきで桐箱を私の前に置いた。古びた真田紐を解き、蓋を持ち上げる。中には、闇そのものを切り取ってきたかのような、黒々とした『無明』の硯が、静かに鎮座していた。その美しさは、常軌を逸していた。生命を吸い取るような、妖しいまでの引力があった。

私は、許可を得て、震える手でその硯を取り出した。ずしりとした重みが、三年前の、あの二人の文豪が放っていた魂の重みのように感じられた。

そして、ゆっくりと、硯を裏返す。 そこに、それはあった。

三島の鋭く、そしてどこか狂気を帯びた筆致で、一行の絶命詩が、石の肌に深く、深く刻み込まれていた。

「散るをいとふ 世にも人にも さきがけて 散るこそ花と 吹く小夜嵐」

これが、三島の最後の「問い」。 これが、川端を17ヶ月間苛み続けた、無言の呪文。

私の全身から、力が抜けていくようだった。勝負は、あったのだ。この美しくも残酷な挑戦状を前に、川端は為す術もなかったのだ。 私は、住職に礼を言い、硯を桐箱に戻そうとした。

その、瞬間だった。 硯を包んでいた、古い縮緬(ちりめん)の布。その内側に、何か小さな紙片が、一針、糸で慎重に縫い付けられているのに、私の指先が触れた。

解れた糸を、そっと引く。中から現れたのは、手のひらに収まるほどの、小さな和紙の切れ端だった。 そこに、見間違えるはずもない、川端康成の、あの震えるような、繊細な筆跡で、ただ一言、こう記されていた。

「待ち人、来たる」


エピローグ

「待ち人、来たる」

川端先生の、震えるような、それでいてどこか喜びに満ちたような筆跡。 その六文字を、私は土蔵の薄明りの中で、ただ呆然と見つめていた。頭を殴られたような衝撃に、思考が停止する。

違う。 私が組み立ててきた、あまりにも単純な物語が、音を立てて崩れていく。 被害者と加害者。呪いをかけた者と、かけられた者。そんな分かりやすい構図ではなかったのだ。

川端先生は、三島の挑戦状を、その死の美学を、一方的に突きつけられたのではなかった。 彼は、それを理解し、受け入れ、そして、静かに**〝待って〟**いたのだ。三島という、自らの人生の物語を完結させるための、最後の登場人物の訪れを。

これは、精神的な殺人事件などではない。 二人の天才が、互いの魂を究極のレベルで共鳴させた末に辿り着いた、悲劇的な**「合意心中」**にも似た、魂の儀式だったのだ。

硯の重みが、桐箱の軽さが、そして手のひらに載る小さな紙片の、あまりにも大きな意味が、私にのしかかる。 私は、住職に深々と、ただ深々と頭を下げた。もはや、礼の言葉も見つからなかった。

伊豆の山を下りる道すがら、燃えるようだった木々の紅葉が、なぜかひどく色褪せて見えた。私は、ひとつの明確な「解答」を求めてこの山に登った。そして、その解答を遥かに超える、人間の魂の、あまりにも深く、そして美しい深淵を覗き込んでしまった。

東京に戻った数日後、私は新宿の文壇バーで、佐伯と顔を合わせた。彼は、私が伊豆で「何かを掴んだ」という噂を聞きつけ、待ち構えていたのだ。

「よう、小林さん。で、どうだった?川端のジジイの死の真相は。やっぱり、三島がけしかけた、無理心中みたいな話だったのか?スクープになるぜ」

佐伯は、下卑た笑みを浮かべてグラスを傾けた。以前の私なら、彼のその態度に激昂していただろう。だが、今の私の心は、凪いだ湖のように静かだった。

「…佐伯くん。君の言うスキャンダルも、俺が探していた美談も、どちらも真実の一面に過ぎなかったよ」

私は、ただそれだけを告げて席を立った。「どういう意味だよ!」と叫ぶ彼の声を背中に聞きながら、私はバーの重い扉を開けた。彼に、この物語を理解することは永遠にできないだろう。

自宅のアパートに戻り、私は机に向かう。 目の前には、この数ヶ月で集めた資料の山。そして、一台のタイプライター。

私は、新しい紙をローラーに差し込んだ。 俗悪な暴露本を止めるためでもなく、自らの罪悪感を濯ぐためでもない。 ただ、二人の天才が命を賭して繰り広げた、あまりにも悲しく、そしてあまりにも美しい対話の、唯一の証人として。その真実を、後世に正しく伝えるために。

カタ、と最初のキーを叩く。 静かな部屋に、その音が響き渡る。

それは、長い調査の終わりを告げる音であり、そして、本当の物語の始まりを告げる、産声だった。

(了)

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