天才は、もう一人の天才の傑作に、血の署名を残した。
あらすじ
これは、文学史から完全に失われていた、あまりにも切なく、そして美しい「事件」の物語である。宮沢賢治の代表作『銀河鉄道の夜』の未発表草稿に残されていた、たった一行の「謎の書き込み」。若き研究者・菊池渉は、失われた文学遺産を守るため、その声の主を探し始める。調査の末に浮かび上がったのは、賢治とは決して交わることのなかったはずの、夭折の天才詩人・中原中也の姿だった。二人の魂が時空を超えて衝突した、その瞬間の真実とは何か。これは、残された物証と証言から、二人の天才の「秘められた対話」を解き明かす、歴史ミステリーである。
登場人物紹介
- 菊池 渉(きくち わたる): 本作の主人公。1950年代の若き宮沢賢治研究者。誠実で執念深い性格。偶然発見した草稿の謎に魅入られ、文学史の裏側に隠された真実を追う「探偵役」となる。
- 宮沢 賢治: 本作の謎の「事件現場」となる草稿を遺した、孤高の天才。その清らかな魂が描いた『銀河鉄道の夜』の世界が、物語の舞台となる。
- 中原 中也: 草稿に血の署名のような一行を書き残した、「謎の声」の主。彼の苦悩と、賢治への複雑な感情が、物語を貫く縦糸となる。
- 柳 耕三(やなぎ こうぞう): 元・文芸誌編集者。現在は神保町で古書店を営む老人。賢治と中也が唯一交差した「現場」を知る、物語の鍵を握る証人。
- 曽根 教授(そね きょうじゅ): 本作の敵対者。中原中也研究の第一人者。自らの学説の権威を守るため、菊池の説を潰そうと、様々な妨害工作を行う。
- 小林 秀雄: 昭和を代表する批評家。菊池が最後に辿り着く「賢者」。中也の無二の親友であった彼だけが知る、魂の真実を語り、物語に最終的な解答を与える。
序幕
1951年、東京。 戦火の傷跡が生々しく残る街の空の下で、人々は未来へと手を伸ばそうともがいていた。大学の研究室にも、ようやくインクと紙の匂いが戻り、私たちは、失われた時を取り戻すかのように、貪欲に言葉の海を渉っていた。
私の名は、菊池渉。大学院で近代文学を専攻し、その中でも特に、戦後に評価が沸騰していた宮沢賢治という、孤高の天才の宇宙に魅入られていた一人だった。
その日、私の目の前には、一つの奇跡が置かれていた。賢治の死後、岩手の遺族の元で長く眠っていた遺品が、大学に寄贈されたのだ。埃をかぶった行李(こうり)の中から現れたのは、手帳、書簡、そして、これまで誰も目にしたことのない、膨大な草稿の束だった。
指導教官の許可を得て、私はその草稿の整理という、望外の幸運に浴することになった。一枚一枚、指先が触れるたびに、まるで賢治の冷たい指先に触れるかのような、厳かな戦慄が背筋を走る。その中で、ひときわ古びた大学ノートを見つけた時、私の心臓は大きく跳ねた。
表紙にかすれたインクで記されている、『銀河鉄道の夜』の文字。これがあの傑作の、未発表の初期草稿だというのか。ページをめくる。インクと鉛筆で、何度も書き直され、推敲された跡。そこには、賢治の魂の彷徨そのものが刻まれていた。
物語はクライマックスに近づいていた。親友ザネリのために氷河から流れてきた苹果(りんご)を拾おうとし、川に落ちる少年カンパネルラ。ジョバンニが必死に彼を探す中、カンパネルラは静かに、銀河の光の中へと姿を消していく。自己犠牲による、清らかで、あまりにも美しい魂の救済。
その場面の余白に、私は、異質なものを見つけた。 賢治の、丸みを帯びた整然たる筆跡とは全く異なる、鋭く、激しく、まるで紙を突き破らんばかりの筆圧で殴り書きされた、鉛筆の一行があった。
「これが私の骨なのだ、くらい闇のなかで歌つてゐる。」
それは、聖画に刻まれた血の署名のように見えた。 静謐な賢治の世界に、突如として投げ込まれた、生身の人間の、血の通った叫び。私の呼吸が、止まった。これは、誰だ。一体、誰が、賢治のこの清らかな祈りの庭に、土足で踏み込んだのだ。
その一行は、禍々しくも、抗いがたいほどに美しかった。
発見の興奮も束の間、数日後、私は指導教官に呼び出された。研究室の重苦しい空気の中で、彼は私に過酷な事実を告げた。 「菊池くん、君が発見したあの草稿だが…残念ながら、まだ大学の所有物ではない。遺族からの仮受託品でね、実は、海外のコレクターも高額での購入を希望しているのだよ」
教授は、疲れたように言葉を続けた。 「大学が、一介の研究資料に過ぎないかもしれない草稿に、それほどの大金は出せん。もし、君がこの草稿を日本に、我々の手元に留めたいと願うなら…」
彼は、私の目をじっと見据えた。 「三ヶ月だ。三ヶ月以内に、この草稿が持つ、宮沢賢治研究を根底から覆すほどの歴史的価値を、証明したまえ。特に…あの謎の書き込みの真相をな」
三ヶ月。 あまりにも短いその時間が、私の孤独な戦いの始まりを告げていた。もし謎を解き明かせなければ、あの魂の叫びは、二度と日本の地に戻ってはこないだろう。私は、固くこぶしを握りしめた。
第一部:権威との対立
調査は、暗礁に乗り上げていた。 私はまず、筆跡鑑定の専門家を訪ねた。古いインクと鉛筆の粒子を分析した結果、書き込みが賢治の生存中、昭和初期になされた可能性が高い、というお墨付きは得られた。だが、肝心の筆者の特定には至らない。当時の文壇で、そのような筆跡を持つ人物は複数おり、断定はできないという。
私は、藁にもすがる思いで、当時の文壇関係者が集う講演会や研究会に顔を出し、草稿の写真を見せては聞き込みを続けた。だが、得られるのは、「記憶にない」という言葉ばかりだった。
そんな私の動きを、冷ややかに見つめる視線があった。 中原中也研究の第一人者、曽根教授。彼は、ある学会の席で、私の調査について質問が上がると、マイクを手に、侮蔑の色を隠さずに言い放った。
「宮沢賢治の草稿に、誰かの落書きがあった、というだけの話でしょう。それを、あたかも文学史上の大発見であるかのように語るのは、若手の功名心に過ぎない。賢治と中也を結びつけようとする説もあるようだが、あまりに根拠のない憶測であり、学術的な議論の対象にすらなりませんな」
会場から、乾いた笑いが漏れた。権威からの、容赦ない一撃だった。この日を境に、私の調査はさらに困難を極めることになる。曽根教授の手が回ったのか、私が閲覧を申請していた大学図書館の貴重書庫への入室が、理由もなく却下されるようになったのだ。
権威という名の、分厚く、冷たい壁。 そして、刻一刻と迫るタイムリimット。私は、焦燥感に駆られながら、賢治の膨大な書簡集の中に、何か手掛かりはないかと、来る日も来る日も活字の海を泳ぎ続けた。
そして、ある夜。疲れ果てた私の目が、インクで汚れた一節に留まった。弟・清六に宛てた、何気ない手紙の一節。
「先日、東京の草野さん(草野心平)の紹介で、小さな雑誌社に童話を送ってみた。採用されるかは分からないが、何かのきっかけになれば…」
小さな雑誌社。 これだ。私の全身を、再びあの発見の日のような戦慄が貫いた。もし、あの草稿が一度でも東京に出ていたのなら。もし、そこにいた誰かが、あの書き込みを残したのだとしたら。私は、その雑誌社の名を、震える手で手帳に書き留めた。
第二部:東京の残響
草野心平の名が記された、その小さな雑誌社は、とうの昔に廃刊となっていた。社主も既に鬼籍に入り、もはや手掛かりは失われたかに思われた。だが、私は諦めなかった。神保町の古書店街に、今もあの時代の文壇の生き字引のような老人たちがいることを、私は知っていたからだ。
私は、大学の研究室にいる時間よりも、古書の埃とインクの匂いが染みついた神保町の路地裏を歩き回る時間の方が長くなっていた。何人もの古書店主や、引退した編集者に話を聞いて回った。多くは空振りだったが、ある日、一人の老店主が、私の持つ雑誌社の名前に、おぼろげな記憶をたぐり寄せた。
「ああ、その雑誌なら、柳(やなぎ)という男が編集をやっていましたな。金策に走り回ってばかりいる、人の好い男だった。たしか、今は自分の店を持っているはずだ。この先の、すずらん通りを少し入ったところに…」
震える指が示す先へ、私は走った。 古びた木造家屋が並ぶ一角に、「柳書店」という、日に焼けた看板を掲げた小さな店があった。店先まで溢れた古書の山をかき分けるようにして、中に入る。そこは、まるで時間の澱が積もった洞窟のようだった。
店の奥の帳場で、黙々と古書の整理をしていた老人こそ、柳耕三、その人だった。私が名乗り、賢治の草稿の写真を見せると、彼は分厚い眼鏡の奥の目を、懐かしそうに細めた。
「ああ…これは、岩手の農学校の先生から送られてきた原稿ですな。なんとまあ、よくぞ残っていましたか」
柳氏は、私が淹れてもらった番茶をすすりながら、遠い昔を懐かしむように、ゆっくりと語り始めた。資金難の小さな雑誌社、その混沌とした編集部。そこに郵送されてきた、あまりにも独創的で、しかし商品にはならないと感じた、美しい原稿。
「あまりに素晴らしいので、誰かに見せたくなってね。しかし、掲載は見送りました。当時の我々には、この先生の才能を世に送り出す力はなかったのです」
私は、息を殺して彼の言葉を待った。そして、核心に触れるべく、例の書き込みがなされたページの写しを、彼の目の前に差し出した。 「柳さん、この書き込みに、何か心当たりはありませんか」
柳氏は、その激しい筆致を、拡大鏡でじっと見つめていた。彼の顔から、懐かしむような色が消え、ある種の畏怖と、哀しみが入り混じった複雑な表情が浮かんだ。
「…いましたな。この文字を書きそうな男が、一人だけ」
彼の脳裏に、ある一人の詩人の姿が蘇っているようだった。 「あの頃、うちの編集部には、毎晩のように入り浸っている、酔っ払いの、しかし天才的な詩人がいましてね。金はないが、才能だけは湯水のようにある男でした」
柳氏は、一度言葉を切り、私をまっすぐに見据えた。 「彼が、先生のこの原稿をえらく気に入って、『一晩貸してくれ』としつこく言うものだから、つい貸してしまったのです。翌日、彼は黙って原稿を返してきましたが、その目は、まるで地獄でも見てきたかのように、赤く燃えていましたな…」
柳氏は、窓の外に広がる、灰色の空を見上げた。 「彼は、カンパネルラが死ぬ場面を指して、こう呟いていました。『この星空は、あまりに綺麗すぎる。俺なら、この泥水の中から、違う星を見つけてやる』…と」
その言葉は、私の探し求めていた答えの、最後のワンピースだった。私は、震える声で、その詩人の名を尋ねた。
「そう、彼の名は…中原中也、と言いました」
確信は、戦慄へと変わった。 柳書店を出た時、空は鉛色に垂れこめ、冷たい雨が降り始めていた。私は、コートの襟を立て、雨に濡れる神保町の雑踏の中を、ただ呆然と歩いた。
賢治の祈りのような物語の余白に、中也が刻んだ、血の叫び。 二人の天才は、互いの名も知らぬまま、この東京の片隅で、一度だけすれ違い、そして、魂を衝突させていたのだ。私は、文学史から完全に失われていた「事件」の、最初の目撃者となったのだった。
第三部:賢者の門
柳耕三の証言は、私の推理の最後の輪郭を、くっきりと浮かび上がらせた。書き込みの主は、中原中也。それは、もはや疑いようのない事実だった。私は、柳の古書店で聞いた全てを、詳細なレポートにまとめ上げた。
これで、草稿の歴史的価値は証明できるはずだ。タイムリミットにも間に合う。安堵と共に、私は大学へ戻った。だが、私の報告書を読んだ指導教官の表情は、晴れなかった。
「菊池くん、君の熱意と調査は見事だ。だが…これでは足りない」 教授は、私のレポートを指で弾いた。「柳氏の証言は、あくまで状況証拠に過ぎない。決定的な物証ではない。君のライバルである曽根教授のような人間は、こう言うだろう。『古い編集者の、感傷的な記憶違いだ』とね」
その言葉は、冷たい水のように、私の昂りを鎮めた。そうだ。曽根教授のような、権威という鎧をまとった人間を納得させるには、柳氏の記憶だけではあまりにも弱い。草稿を、そして二人の天才の魂の対話を、俗説の海から救い出すためには、誰もがひれ伏すほどの、絶対的な権威による「証明」が必要だった。
事実だけでは足りない。その事実に、魂を吹き込む「言葉」がいる。 私の脳裏に、一人の男の姿が浮かんだ。中也の魂の慟哭を、その意味を、この世でただ一人、真に理解できるであろう人物。
昭和最高の批評家、小林秀雄。
無謀な挑戦であることは、分かっていた。当時の小林先生は、すでに文壇の頂点に君臨し、雲の上の存在だった。一介の大学院生が、面会を許されるはずもなかった。だが、私にはもう、この道しか残されていなかった。
私は、筆を執った。これまでの調査で明らかになった事実、そして、賢治の清らかな祈りと、中也の血の叫びが、一つの草稿の上で衝突しているという私の仮説を、一語一語、誠実に、そして情熱を込めて、便箋に綴った。どうか一度だけ、お目にかかり、ご意見を賜りたい、と。
返事は、来なかった。 一週間が過ぎ、二週間が過ぎた。草稿の売却決定の日が、刻一刻と迫る。焦燥感に駆られた私は、矢も盾もたまらず、鎌倉にあるという小林先生の自宅の前に立ったこともあった。しかし、堅く閉ざされた門と、生い茂る木々が、私の侵入を拒んでいるようで、呼び鈴を押す勇気もなく、すごすごと引き返すしかなかった。
ある日、大学の廊下で、私は曽根教授とすれ違った。彼は、私を侮蔑するような笑みを浮かべて、言い放った。 「まだ、そんな夢物語のような説にこだわっているのかね、菊池くん。時間の無駄だと思うがね」
その言葉が、私の心に最後の火をつけた。 私は、その夜、もう一度、小林先生に手紙を書いた。今度は、書き込みそのものの写真と、柳氏の証言の要約を同封した。これが最後だ、と自分に言い聞かせ、震える手でポストに投函した。
それから、さらに一週間が過ぎた。 もう万策尽きた、と私が諦めかけた、ある晴れた日の午後。研究室の私の机の上に、一枚の葉書が、ぽつんと置かれていた。
差出人は、小林秀雄。 そこには、美しい筆致で、ただ一言、こう記されていた。
「来週、水曜の午後。書斎にて、お待ちしております」
終幕:慟哭の歌
約束の日、私は鎌倉行きの横須賀線に乗っていた。窓の外を流れる見慣れた風景が、まるで別世界の出来事のように感じられる。心臓が、肋骨の下で不規則に暴れていた。これから私は、一人の神話的存在に会うのだ。そして、文学史の最もデリケートな部分に、メスを入れる許可を乞うのだ。
鎌倉の駅からタクシーに乗り、運転手に告げた住所は、谷戸の奥深くに静まっていた。鬱蒼と茂る木々に囲まれた、古い、しかし威厳のある門構え。表札には、ただ「小林」とだけ記されている。私は、何度も深呼吸を繰り返し、震える指で呼び鈴を押した。
書斎に通された私は、その空気に圧倒されていた。壁一面を埋め尽くす、洋書と漢籍の膨大な蔵書。使い込まれた文机。そして、部屋の主である小林秀雄その人。彼は、写真で見るよりもずっと小柄に見えたが、その双眸は、まるで鷹のように、私の魂の芯まで見透かすような、鋭い光を宿していた。
「…それで、君が発見したという、中也の批評とは、何だね」
挨拶もそこそこに、小林先生は、低い、静かな声でそう切り出した。私は、乾いた喉を潤すように唾を飲み込み、持参した資料を一枚ずつ、彼の前のテーブルに並べていった。
『銀河鉄道の夜』初期草稿の写真。書き込み部分の拡大図。柳耕三の証言をまとめたレポート。私は、積み上げてきた推理の全てを、一語一語、確かめるように語った。賢治の清らかな自己犠牲の世界に、中也が叩きつけた、魂の反論について。
小林先生は、腕を組んだまま、ただ黙って私の話を聞いていた。その表情からは、肯定も否定も読み取れない。やがて、私の長い説明が終わると、彼は初めてテーブルの上の写真に手を伸ばした。
書き込み部分の拡大写真を、指でそっと撫でる。その仕草は、まるで、遠い昔に失った友の、痛ましい傷に触れるかのようだった。
「…これは、君が言う通り、中也の字だ」
長い沈黙の後、彼は、ぽつりと言った。その一言は、万鈞の重みをもって、私の仮説を真実へと変えた。
「あいつは、賢治のあの原稿を読んだ夜、私の家に来て、ひどく酔っ払ってこう言った。『小林、あの男(賢治)は、星空に救われようとしている。だが、俺たちは違う。俺たちは、この泥水のような地上で、血を吐きながら歌うしかないじゃないか』と…」
そこまで語ると、小林先生はふっと、自嘲するような笑みを浮かべた。 「君の推理は、批評としては正しい。見事なものだ。だが、一つだけ、君にも見えていないことがある」
彼は、私をまっすぐに見据えた。その鷹のような目が、私に最後の問いを投げかけていた。
「中也は、あの夜、怒っていただけではなかった。彼は、賢治の原稿を胸に抱きながら、子供のように泣いていたのだよ」
私の思考が、止まった。
「彼は言った。『あの男は、天国を信じている。俺も信じたいのに、信じられない』…と。彼があの草稿に書きつけたのは、賢治への反論であると同時に、そう在りたくても在れなかった、自分自身の魂への慟哭であり、祈りだったのだ」
エピローグ
小林先生の書斎を、どのように辞したのか、よく覚えていない。ただ、帰り道の鎌倉の空が、抜けるように青く澄み渡っていたことだけを、鮮明に記憶している。
数週間後、大学で開かれた委員会で、私は、小林先生の証言という「最終兵器」を切り札に、草稿の歴史的価値を完璧に証明してみせた。曽根教授は終始、苦虫を噛み潰したような顔で沈黙していた。草稿の海外流出は、正式に阻止された。
その年の冬、私は一本の論文を書き上げた。 それは、文学史上の新発見を告げる、単なる学術論文ではなかった。賢治の祈りと、中也の慟哭、その「秘められた対話」の唯一の証人として、二人の天才の魂の物語を後世に正しく伝えるための、静かな鎮魂歌(レクイエム)だった。
私の長い旅は、終わった。 自宅のアパートに戻り、私は机に向かう。目の前には、白紙の原稿用紙と、一本の万年筆。
私は、この物語を、論文とは違う形で、もう一度、書き始めなければならない。 真実を、ただ一人の友にだけ託し、沈黙のうちに逝った批評家のことを。 そして、その沈黙の意味を追い求めた、若き日の自分のことを。
カタ、とペンの先が紙に触れる。 静かな部屋に、その音が響き渡る。
それは、長い調査の終わりを告げる音であり、そして、本当の物語の始まりを告げる、産声だった。
(了)



































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