舞台は、完璧なセキュリティで守られた「スマートシティ管制室」。 死体は「密室」で感電。 容疑者は「完璧な退却〜」により、現場(そこ)にいない。 凶器は、「分断」されたシステム(アーキテクチャ)そのもの。
あらすじ
国家戦略特区「京浜臨海データ特区」――。日本の未来を賭けたスマートシティの心臓部、「都市OS」オペレーションセンターで、プロジェクトのキーマンである市役所CIO室のエース・相田誠が、感電死体で発見された。
現場は、稼働前の最新鋭セキュリティ(生体認証・物理キー)で守られた完璧な「密室」。警察は、内部の「分断」されたシステム構築の複雑さから、機密情報を巡る「スパイ事件」と「過労による事故」の両面で捜査を開始。プロジェクトは即時凍結の危機に瀕する。
事態を重く見た出資元(メガバンク)は、プロジェクトの「真の構造的欠陥」を監査すべく、一人の男を送り込む。独立系「エンタープライズ・アーキテクト(EA)」の黒沢錬。
黒沢が「全体の設計図」を監査し始めると、プロジェクトの最上流(PMO)で「評論家」として君臨する天才コンサルタント・天海悟の影が浮かび上がる。しかし天海は、死亡時刻、遠く離れた場所で完璧なアリバイ(=不在証明)を持っていた。
なぜ相田は「密室」で死なねばならなかったのか? 相田が死の直前まで接触していた、謎の「レッドチーム(侵入テスト部隊)」の目的とは?
都市OSの「ロックイン(稼働開始)」が迫る中、黒沢は、天海の「完璧な退却」の裏に隠された、都市の「デジタルツイン」支配を巡る、恐るべき「国家的陰謀」の設計図に辿り着く。
登場人物紹介
- 黒沢 錬(くくろさわ れん)
- 独立系「エンタープライズ・アーキテクト(EA)」。(主人公)
- 元・大手戦略コンサル。「評論」を捨て「実行」と「統合」にこだわる。ビジネス・データ・技術の「分断」を見抜き、全体の設計図を描き直す専門家。相田の死を「構造的欠陥」を利用した「設計された殺人」と疑う。
- 天海 悟(あまみ さとる)
- 大手戦略コンサルファームのスター・パートナー。(敵役=評論家)
- 「都市OS」プロジェクトのPMO。「分析し、推奨し、退却する」を体現する冷徹な頭脳。完璧なアリバイを持つが、その裏で「ある目的」のための「影の設計図」を描いていた。
- 相田 誠(あいだ まこと)
- 市役所「CIO室」のエース。(被害者)
- 「都市OS」のオペレーションセンターで感電死する。天海による「ベンダーロックイン(特定企業による支配)」を警戒し、オープンなシステム設計を模索。秘密裏に「レッドチーム」を雇っていた。
- 「K」(ケイ)
- 相田が雇った「レッドチーム」のリーダー。
- 天才的なホワイトハッカー。相田の死後、契約に基づき「脆弱性(=天海の仕掛け)」の証拠を探し続け、監査役である黒沢の前に現れる。敵か味方か不明。
- 利根川 景子(とねがわ けいこ)
- プロジェクト出資元(メガバンク)の幹部。
- 黒沢の元上司であり、彼を「EA(監査役)」として招聘した人物。プロジェクト凍結=莫大な損失を回避するため、黒沢に早期解決を迫る。
序章 密室(ロックドルーム)
オペレーションセンター(NOC)は、 神の沈黙に満ちていた。
国家戦略特区「京浜臨海データ特区」。 その心臓部であるこの部屋は、都市OS(アーバンOS)が産声を上げるための「ゆりかご」だった。 室温は、人の肌には冷たすぎる摂氏18度に厳格に保たれ、無数のサーバーラックを冷却するファンの、低いうなりだけが響いている。 それは音というより、巨大な生命体が発する呼吸音に近かった。
青いLEDが、整然と並ぶ黒い巨石――ラック群――を照らし出す。 そこに格納された「都市OS」が、現実の都市(フィジカル)と寸分違わぬ「デジタルツイン」を、24時間、完璧な演算で動かし続けていた。
「エラー」は存在しない。 「予期せぬ逸脱」は許容されない。
それが、このNOCの存在理由(レゾンデートル)だった。
午前4時17分。 システムが、初めて「予期せぬ逸脱」を検知した。 アラートは「侵入」ではなかった。 「ハードウェア障害」だった。 セクター4、ラック07。 都市の「電力制御システム(SCADA)」の中核。
午前4時32分。 駆け付けた二人のセキュリティ担当者が、生体認証(虹彩スキャン)を試みて、失敗した。 分厚い気密扉は、びくともしない。
「……異常だ。アクセス拒否」 若い担当者が、額に汗を浮かべてコンソールを叩き直す。 「内部から物理ロックが掛かっている。ありえない」
「馬鹿な」 ベテランの担当者が、忌々しげに舌打ちした。 「今、センターは稼働前テストの最終フェーズだ。この時間に内部(インサイド)に人間がいるはずがない。ゴーストか?」
「……手動で開けます。オーバーライドキーを」
最高位の物理キーによる強制解除。 重い気密扉が、圧縮空気を吐き出す、ため息のような音とともに開く。
漂ってきたのは、冷却された無機質な空気ではなかった。
タンパク質が焼ける、甘ったるい異臭。 高圧電流が空気を焦がした、オゾンの匂い。
「……なんだ、これ」 「……相田さん?」
市役所CIO室のエース、相田誠(あいだまこと)が、ラック07に寄りかかるように倒れていた。 右手は、保守用に開けられていたパネルの奥、むき出しになったSCADAのメインバスバー(主幹配電線)に触れている。 指は醜く炭化し、高圧電流が彼を貫いたことを示していた。
完璧なセキュリティで守られた「密室」で発見された、完璧な「感電死体」だった。
神奈川県警捜査一課の刑事たちは、この「神の密室」を前に、露骨に顔をしかめた。 ベテランの刑事が、A社(セキュリティ)のベンダー技術者を睨みつける。
「入退室管理システム(A社製)のログは?」 「……午前4時以降、該当者ゼロ。カードキーの使用、虹彩認証、すべて記録がありません。異常ありません」
「異常ない? 人が死んでるんだぞ!」 刑事は次に、B社(電力制御)の技術者を睨んだ。 「じゃあ、この電力制御システム(B社製)のログは!」 「午前4時17分、異常電流を検知。即時シャットダウン。仕様通りの正常な動作です。システムは、正常に、動いています」
「ふざけるな!」 ベテランの刑事が、耐えきれずに怒鳴った。 「A社(セキュリティ)とB社(電力)のログは『連携』してないのか? なぜ相田氏は『入室ログ無し』でここに『存在』し、高圧電流に『触れ』ているんだ! 答えろ!」
捜査員は、システムベンダーの技術者たちに詰め寄る。 だが、彼らは青ざめた顔で首を振るだけだ。
「……仕様です」 「は?」 「A社とB社は、セキュリティ上『分断』されています。それが、今回の“設計”ですから」
「設計だと? 誰がこんな“欠陥”を設計した!」
その声に答える者はいなかった。 ただ一人。
このプロジェクトの最上流(PMO)で、この「分断」された構造(アーキテクチャ)を承認した男――天海悟(あまみさとる)は、その時刻、現場(そこ)にはいなかった。
彼は、完璧な「退却」を終えていた。
第1章 アーキテクトの着任
設計図の“汚染”
その「設計図」は、意図的に“汚されていた”。
相田誠の死から三十六時間後。 俺、黒沢錬(くろさわ れん)は、メガバンク本店ビル最上階の、無駄に広い会議室にいた。 床から天井まで続く窓の外には、東京の夜景が広がっているが、俺たちのいる部屋の空気は、それとは対照的に淀んでいた。
「京浜臨海データ特区 都市OSプロジェクト」の出資行(コンソーシアム)筆頭、利根川景子(とねがわ けいこ)が、俺を「監査役」として招聘した。
「……これが、例のオペレーションセンターの『現行アーキテクチャ設計図』よ。警察と、PMO(プロジェクト・マネジメント・オフィス)から開示された、公式の最終版」
景子は、俺の元上司だ。 戦略コンサル時代、まだ「評論家」の卵だった俺に、「実行なき戦略はゴミだ、黒沢。クライアントはあんたの綺麗なパワポが欲しいんじゃない、結果が欲しいんだ」と叩き込んだ人でもある。 その彼女が、今は苦虫を噛み潰したような顔で、巨大なモニターに表示された図面を睨んでいる。 イタリア製のシルクのスーツを着こなしているが、目の下の隈は隠せていない。
「警察の見立ては?」 俺は、出されたコーヒーには口もつけず、問いかけた。
「『スパイ事件』、あるいは『過労による事故』。両睨みよ」 景子は、指でこめかみを押さえた。 「例のセンターは、A社(セキュリティ)、B社(電力制御)、C社(空調)、D社(通信)……各社の最新技術が詰め込まれた“ブラックボックス”の集合体。誰も全体像を把握できていない。警察も、ベンダーも、うち(銀行)もよ」
「だから、相田君が“機密”を盗もうとして事故死したか、あるいは……」 「あるいは、彼が“真の設計図”を完成させようとして、消されたか」
俺の言葉に、景子は鋭く顔を上げた。 「黒沢。あなたを呼んだのは、探偵ごっこをさせるためじゃない。独立系EA(エンタープライズ・アーキテクト)として、この“欠陥”プロジェクトの『構造監査』をさせるためよ」 「分かってる」
「相田君の死が『事故』であれ『事件』であれ、原因は『システムの構造的欠陥』にあるはず。それを見つけ出し、穴を塞ぎ、プロジェクトを再稼働させる。それがあなたの仕事よ。うちは、一刻も早くプロジェクトを正常化しないと、損失が……」 「“穴”が、意図的に開けられていたとしてもか」
景子は答えなかった。 彼女は答えを知っている。だから俺を呼んだ。
俺はモニターに映る「公式の設計図」に目を戻す。 エンタープライズ・アーキテクトとしての俺の仕事は、「設計図」の「嘘」を見抜くことだ。 ビジネス(事業)、データ(情報)、テクノロジー(技術)。それらがどう連携し、どう「分断」されているかを見抜く。
一見、完璧だ。 各システムはレイヤーごとに美しく分離され、セキュリティポリシーによって厳密に「分断」されている。 コンサルタントが見れば「理想的なガバナンス・モデルだ」と賞賛するだろう。
「ひどいな、これ」 「何が?」景子の声が尖る。 「全部だ。特にここ」 俺は、モニターの特定箇所を指差した。 「A社の『入退室管理』とB社の『電力制御(SCADA)』。なぜ、この二つの最重要システムが、データ連携どころか、ログの突き合わせすらできない“完全なサイロ”になっている?」
「……それは」景子が口ごもる。「PMOの最終判断よ。『最高レベルのセキュリティを担保するため、意図的にエアギャップ(物理的隔離)に近い“分断”設計を採用した』と……説明を受けたわ」
「評論家の“たわごと”だ」 俺は吐き捨てるように言った。 「エアギャップは、外部(インターネット)と内部(制御系)を切り離すためのものだ。内部と内部を『分断』させてどうする」 「……」 「これじゃあ、センター内部で火災が起きても、入退室ゲートが連動して開かない可能性がある。まさに“密室”だ。意図的に『殺人』ができる構造じゃないか」
景子の目が、鋭く俺を射抜いた。 「……その“評論家”が、今、下のフロアに来ているわ」 「……」 「今回のPMOを率いる、スター・パートナー。天海悟」
“評論家”の不在証明
天海悟(あまみ さとる)は、「評論家」という言葉を擬人化したような男だった。 非の打ちどころのないオーダーメイドのスーツ。完璧に磨かれた靴。感情の温度を感じさせない、理知的なバリトンボイス。
「黒沢さん、でしたか。独立系のEAとは、珍しい。私はPMOの天海です」
天海は、プロジェクト凍結という非常事態にもかかわらず、一切の焦りを見せていなかった。その態度は、まるで難解なチェスの盤面を、ゲームマスターとして静かに眺めているかのようだ。 俺と景子に差し出されたコーヒーには、一口もつけずに。
「早速ですが、監査結果の速報を」 俺は単刀直入に切り出した。回りくどい「評論」は時間の無駄だ。 「オペレーションセンターの設計は、致命的な『構造的欠陥』を抱えています。特にA社とB社の『分断』は、セキュリティどころか、運用リスクの塊だ。なぜ、こんな設計を“承認”した?」
天海は、薄い笑みすら浮かべた。 「黒沢さん、あなたは『アーキテクト』だ。私は『コンサルタント』だ。役割が違います」 「何が言いたい」 「『アーキテクト』は『統合』と『効率』を求める。だが『コンサルタント』は『リスク』と『ガバナンス』を分析するのです」 天海は、まるで大学の講義でもするように、指を一本立てた。 「あの『分断』は、各ベンダー間の『責任分界点』を明確にするための、最も合理的(ロジカル)な“判断”です」
「責任分界点だと? 人が死んでいるんだぞ」 「それは『実行』フェーズの“事故”です」 天海は、冷ややかに続けた。 「私の仕事は、最も“安全”な『戦略(=設計図)』を『分析』し、『推奨』すること。そして、その通りに『実行』されているか『管理』すること。実行部隊(ベンダー)が『仕様通り』に『分断』させた結果、もし運用上の“事故”が起きたのだとすれば、それは『実行』の責任であり、私の『設計(=評論)』の責任ではない」
これが、天海の「論理(ロジック)」だった。 分析し、推奨し、管理する。 だが、決して「実行」はしない。 だから「責任」も負わない。 完璧な不在証明(アリバイ)だ。
「……相田誠は、この『分断』に気づいていた」 俺は、手元の端末に、相田が遺した未完成のドキュメントを映し出した。 「彼は、A社とB社を『統合』し、あなたの“欠陥”設計をバイパスする、新しい『アーキテクチャ』を描こうとしていた。あなたは、それを知っていたか?」
天海の表情が、初めて、わずかに凍りついた。 ほんの一瞬。 すぐに彼は、あの「評論家」の仮面を被り直す。
「……知りませんね。ですが、仮にそうだとして、それが何を意味しますか? 若い技術者が、理想論に燃えることは往々にしてある」 「あなたの“完璧な設計”が、否定されようとしていた」 「まさか」天海は、心底おかしそうに笑った。「黒沢さん。あなたは“監査役”として、冷静に『構造』を分析すべきだ。個人の『動機』というウェットな領域に踏み込むのは、あなたの仕事ではない。それは警察(かれら)の仕事でしょう」
天海は、会議室の窓の外――眼下に広がる「京浜臨海データ特区」を指差した。 「私の仕事は、あの都市OSを『再稼働』させること。あるいは、このまま『完全撤退』させること。そのための『合理的・戦略的』な判断を、出資者(利根川さん)に『推奨』するだけです」
男はそう言うと、「では、分析に戻りますので」と完璧な一礼をし、会議室を出ていった。 完璧なアリバイ(不在証明)。 完璧な論理武装。 完璧な「退却」。
「……食えない男」 景子が、忌々しげに呟いた。
「ああ」 俺は、天海が残していった冷たいコーヒーを見つめた。 「だが、奴は嘘をついた」 「え?」
「『知りませんね』と言った。だが、奴の目は、相田の『設計図』という言葉に、確かに反応した」
景子が、何かを思い出したように顔を上げた。 「……黒沢。警察から、もう一つの情報開示があったわ」 「なんだ」 「相田君のPCから、あなたの元同僚……例の『K』というハッカーと、頻繁に通信していたログが見つかったそうよ」
第2章 影のアーキテクチャ
“K”という名のレッドチーム
「K(ケイ)……」 そのアルファベット一文字に、景子の視線が突き刺さる。 Kは、俺がコンサル時代に一度だけ、敵として対峙したことがある伝説的なハッカーだ。その正体は誰も知らない。
「警察は、この『K』を最重要容疑者として追っているわ」 景子は、神経質に指を組んだ。 「相田君と共謀して機密情報を盗み出し、彼を殺害したスパイ。あるいは、彼に雇われてハッキングを仕掛けた実行犯、として」
「どちらも違う」 俺は断言した。
「なぜ、そう言えるの?」 「Kは“スパイ”じゃない。『レッドチーム』だ」
「レッド……何?」 「侵入テスト専門の、いわば“味方”のハッカー集団よ。企業や組織が、自らのシステムの脆弱性をあぶり出すために、正規の予算で『攻撃役』として雇う。Kはその中でもトップクラスのチームだ」 「……」 「相田はスパイと共謀したんじゃない。あんたが俺を『EA(監査役)』として雇ったのと同じ。彼は『レッドチーム』を雇って、この“欠陥”OSの“穴”を、独自に監査させていたんだ」
景子は息を呑んだ。 「……内部監査。PMO(天海)を通さずに? そんなことをすれば……」 「ああ。天海の逆鱗に触れる。評論家(天海)の“完璧な設計図”に、実行部隊(相田)が公然とケチをつけたんだからな」
「だとしたら、Kはどこに? なぜ警察に証言しないの?」 「Kは“影”だ。姿を見せないのが彼らの仕事だ。それに」 俺は言葉を切った。 「彼ら(レッドチーム)が“穴”を見つけた直後に、雇い主(相田)がその“穴”で殺された。あんたならどうする? 警察に出て行って『私が発見した脆弱性で人が死にました』と証言するか? 冗談じゃない」
景子の顔から血の気が引いていく。 「まさか……黒沢。あなたは、天海が……?」 「天海は“評論家”だ。彼は『実行』しない。ただ、『分断』された構造を『承認』しただけだ。そして、そのアリバイは完璧(パーフェクト)だ」
俺は立ち上がった。 「景子さん、相田のオフィスを調べたい。PMOが“清掃”する前に」
ホワイトボードの“解読”
市役所のCIO室――その一角にある相田誠のデスクは、まだ生々しい主(あるじ)の気配を残していた。 警察の鑑識は終わっているが、まだ天海のPMOによる「データ保全(という名の隠蔽作業)」は入っていない。俺は景子の権限で、中に入った。
典型的な、真面目で優秀な若手技術者のデスクだった。 付箋だらけのモニター。山積みの技術書。その一番上に、今回のプロジェクトの公式資料――天海のファームが作成した、あの「分断」された公式アーキテクチャ図が、無造作に置かれていた。
「……これといって、何も」 景子が、彼の遺品を痛ましそうに見つめる。
だが、俺の目は別のものに釘付けになった。 デスクの脇に置かれた、小さなホワイトボード。 そこには、無数の殴り書きが残されていた。
そこには、A社(セキュリティ)とB社(電力制御)の、二つの箱が描かれていた。 公式図面と同じように。 だが、相田は、その二つの箱を繋ぐ「第三の経路」を、赤いマジックで殴り書きしていた。 その線は、彼の焦燥を示すように、何度もなぞられて太くなっている。
そして、その経路の横に、こう書き殴っていた。
『バグ(欠陥)じゃない。フィーチャー(仕様)だ。』 『――“保守用通信経路(メンテナンス・パス)”? なぜこれが“設計図”にない?』 『→DT-Testbed_04?』
これだ。 俺は全身の血が逆流するのを感じた。
「黒沢……?」
「……景子さん。俺の仮説が、今、証明された」 「どういうこと?」 「天海が『分断されている』と“評論”したA社とB社の間には、公式の設計図から“意図的に削除された”、『隠された通信経路』が存在したんだ」 「なっ……!」 「相田はそれを見つけた。そして、その経路が『DT-Testbed_04』――デジタルツインのテストベッド――という、俺も知らないサーバに繋がっていることを突き止めていた」
ゴースト・サーバからの警告
その夜、俺はホテルの一室から、暗号化されたセキュアな通信チャネルを開いた。 過去、コンサル時代に一度だけKとやり取りした、古いメッセージボードだ。
俺は、EA(エンタープライズ・アーキテクト)としての「鍵」を使った。 『Subject: 京浜臨海データ特区。監査役(EA)の黒沢だ。』 『Body: 評論家(天海)の“設計図”を監査している。“保守用パス”と“DT-Testbed_04”の件で、レッドチーム(K)の所見が聞きたい』
“評論家”、“設計図”、“保守用パス”。 関係者(インサイダー)にしか分からない符丁。Kなら、俺が「敵」ではないと気づくはずだ。
心臓が、嫌な音を立てる。 応答は、驚くほど早かった。 三分後。画面に、暗号化された一行のテキストが浮かび上がる。
>『監査役(EA)さん、お出ましが遅い』
来た。 俺はキーを叩く。 『相田は「保守用パス」が原因で殺された。そうだな?』
>『違う』
一瞬、思考が止まる。
>『相田は、「保守用パス」を“バグ(脆弱性)”だと思っていた。それが間違いだ』 >『あれは“脆弱性”じゃない。“設計(デザイン)”そのものだ』
背筋が凍った。 『“設計”だと? 天海が仕込んだと?』
>『天海は“評論家”じゃない。奴こそが、“影のアーキテクト”だ』
Kの言葉が、俺の脳を殴りつけた。 天海は「評論家」の仮面を被り、俺たちを油断させていた。 だが、その実態は、俺たちと同じ、あるいはそれ以上の「設計者(アーキテクト)」だったのだ。
>『俺たちが探っていたのは、天海が仕込んだ「表」の欠陥じゃない。奴が隠した「裏」のアーキテクチャ――“DT-Testbed_04(デジタルツイン)”の最高権限(Root Access)だ』
デジタルツイン……。 都市OSの目玉機能。都市のコピーをサイバー空間に作り、シミュレーションを行う……“表向き”は。 だが、その最高権限を握るということは、「シミュレーション」から「現実の都市(フィジカル)」を操作できる、という意味だ。
『天海は……この都市インフラを、遠隔操作する“バックドア”を仕込んでいるのか』
>『相田はそれに気づいた。だから消された』 >『あんたが今見ている「分断された設計図」は、監査役(あんた)の目を欺くための“デコイ(囮)”だ』
俺は、Kの言葉のすべてを理解した。
>『急げ、アーキテクト。』 >『“ロックイン”まで、あと48時間』
『ロックイン……? なんだ、それは』
>『都市OSが、正式に稼働(ロックイン)する時刻だ』 >『その瞬間、天海の“影のアーキテクチャ”は、システムの核(カーネル)に組み込まれ、不可視になる』 >『あんたの監査も、俺たちの追跡も、すべて無意味になる』
>『そして天海は、いつでも、どこからでも、あの“密室”を、この都市の“どこにでも”再現できるようになる』
第3章 48時間のロックイン
“脆弱性”という名の罠
「ロックイン」。 Kの最後の一言が、ホテルの部屋の空気を凍てつかせた。
システムアーキテクチャにおける「ロックイン」とは、通常、特定のベンダー技術に「縛られる(依存する)」ことを指す。相田が恐れていたことだ。 だが、Kが言う「ロックイン」は、意味が違った。
それは「完了」の儀式。 一度実行されれば、二度と後戻りできない、OSカーネル(核)への「刻印」。
天海の「影のアーキテクチャ」――都市インフラを支配するバックドア――が、稼働開始と同時にシステムと“融合”し、不可視の「仕様」と化す。 そうなれば、黒沢の監査も、Kのハッキングも、すべて無意味になる。 天海は「評論家」の仮面を被ったまま、都市の「神」の権能を手に入れる。
48時間。
俺は受話器を掴み、景子を叩き起こした。 午前3時だ。知ったことか。
『……もしもし……黒沢……? いま、何時だと……』 「景子さん、俺だ。寝言はいいから聞け。俺は今から、天海が“承認”した公式アーキテクチャの“脆弱性監査”を、最優先で実行する」
『……なんですって?』 彼女の声が一瞬で覚醒する。
「相田の死は、この“脆弱性”が原因だ。そして、48時間以内に同じ“事故”が、都市全域で、意図的に、再現される可能性がある」
『……!』
嘘ではない。事実に、EA(エンタープライズ・アーキテクト)としての「解釈」を加えただけだ。 天海が都市のインフラを掌握すれば、相田の死など「序章」に過ぎなくなる。
「天海は、この“脆弱性”を隠蔽するため、OSの『ロックイン』を強行しようとするだろう。『安定化』という“評論”を盾にしてな。だが、本当の目的は、監査(俺たち)の目から“穴”を隠すことだ」
『……まさか……。でも、証拠は?』 「証拠は、今から俺が見つける。だから、あんたは『場』を作れ」 『場……?』
「天海を止めるには、奴の“土俵”で勝つしかない。奴は『評論家』だ。奴の『推奨』を、俺の『監査』で覆す。それには、出資者(あんた)の権限が必要だ」 『……』 「相田の全データが必要だ。警察が押収したPCの、完全なフォレンジック・イメージ(複製)を、今すぐ俺に回せ。あんたの権限で」
景子は、黒幕の正体には気づいていない。 だが「システム暴走による、更なる事故」という、出資者として最悪のシナリオを理解した。
『……わかったわ。すぐに手配する。だが黒沢、あなたの“監査”が、天海の“評論”に負けたら、すべてが終わるわよ』 「上等だ」
“ロックイン”の推奨
夜が明け、午前9時。 オペレーションセンターの大会議室で、天海悟による「緊急プロジェクト会議」が招集された。 集まった全ベンダーの技術者たち、市役所の幹部、そして出資者の利根川景子。 全員の顔に、プロジェクト凍結への焦燥と、相田の死への恐怖が浮かんでいる。
壇上に立った天海は、完璧な「評論家」の仮面を被っていた。 その表情には、悲劇を憂う「責任感」すら漂っている。
「皆様。まず、故・相田誠君に、深く哀悼の意を表します」 一礼。完璧なタイミング。 「彼の熱意、彼の都市OSにかける情熱は、我々全員が知るところでした。その彼を、このような形で失ったことは、痛恨の極みです」
シーン、と静まり返る会議室。
「だが、我々は進まねばなりません。彼の死を無駄にしないためにも」 天海の声が、厳かに響く。 「彼の死は、痛ましい“事故”でした。そして、その“事故”は、我々のプロジェクトが抱える『構造的欠陥』――すなわち『分断』が引き起こしたものです」
来た。 俺は会議室の後方で、腕を組んで天海を睨みつけた。
「システムが『分断』され、各々の責任分界点が曖昧なままテスト稼働していた。その“未定義な状態”が、あの悲劇を生んだ。私はPMOとして、そう『分析』します」 ベンダーの役員たちが、神妙な顔で頷く。 誰も「自社の欠陥」とは言われたくない。 「全体の欠陥」という天海の“評論”は、彼らにとって都合がいい。
「故に」 天海は、最も理にかなった「解」を提示する者の声色で、続けた。 「これ以上の“事故”と“データ破損”を防ぐため、我々が取るべき『合理的・戦略的』な選択は、ただ一つ」
彼は、集まった全員を見渡した。 「現時点でのシステムを『確定(フィックス)』させ、OSカーネルを『安定化』させること。すなわち、『最終ロックイン』を、36時間後に前倒しで実行することを、ここに『推奨』いたします」
「待った」
俺は、静かに手を挙げ、前に進み出た。 「監査役(EA)の黒沢だ。その『推奨』には、同意できない」
全ベンダーの視線が、闖入者(ちんにゅうしゃ)である俺に突き刺さる。 天海の目が、初めて温度を失い、俺を捉えた。
「黒沢さん」 天海は、あくまで冷静な“評論家”として、俺に反論する。 「あなたの『監査』は、まだ途上と伺っています。ですが、これは『安定化』のための緊急避難措置です。あなたの『監査』は、安定化した『後』で、いくらでも続ければいい」
「違うな」 俺は、天海のロジックを真っ向から否定した。 「『ロックイン』された後では、監査は『無意味』だ。なぜなら、あんたが『安定化』と称して実行しようとしているプロセスこそが、最大の『脆弱性』そのものだからだ」
会議室がどよめいた。 「黒沢さん」天海の声が、一段低くなる。「それは、PMOに対する重大な『中傷』と受け取れますが」
「事実だ」 俺は、手元の端末に、昨夜景子から受け取った「フォレンジック・イメージ」の解析結果――の「フリ」をした資料――を映し出す。
「相田誠のPCから、彼が死の直前に発見した『脆弱性レポート』が出てきた。それは、A社(セキュリティ)とB社(電力制御)の『分断』を悪用し、遠隔から『意図的に』高圧電流を発生させるプロセス――。相田が死んだトリックそのものだ」
もちろん、そんなレポートは存在しない。 だが、俺は「レッドチーム」として、今この場で、その「脆弱性」をでっち上げた。
「そして、天海さん」 俺は、壇上の「評論家」を指差した。 「この脆弱性は、あなたが『安定化』のために実行しようとしている『ロックイン』のプロセスと、“酷似”している。これは、どういうことだ?」
天海は、一瞬、絶句した。 俺が「影のアーキテクチャ」の存在に気づいているとは夢にも思わず、俺が「公式アーキテクチャの脆弱性」という、彼自身が仕掛けた“罠”にハマっていると誤解したからだ。
天海は、俺を「評論家(アナリスト)」として“格下”に見ている。 だから、俺は、その「評論家」の土俵で、奴を追い詰める。
景子が、この機を逃さず叫んだ。 「天海さん! 黒沢さんの『監査』が真実なら、あなたの『推奨』で、我々は都市全体を“感電死”させることになる! 『ロックイン』は、黒沢さんの監査が完了するまで、凍結する!」
「……よろしい」 天海は、観念したように頷いた。 「では、黒沢さん。あなたの『監査』に、私も『評論家』として立ち会わせていただきましょう。その“脆弱性”とやらを、この目で見届けるために」
画像に隠された“設計図”
天海の“罠”に、俺は乗った。 「監査の立ち会い」――それは、俺のPCを覗き込み、俺が「何処まで」掴んでいるかを監視する、天海の「評論家」としてのカウンターだった。
オペレーションセンター(NOC)の「密室」。 相田が死んだ、まさにその場所。 俺と天海、そして景子と、双方の技術者だけが立ち入ることを許された。 残された時間は、30時間を切っていた。
俺は、天海に見せつけるように、公式アーキテクチャの「脆弱性監査」を始めたフリをした。 端末の画面には、難解なログファイルが流れ続ける。
だが、その裏で、俺のセキュア端末(スマートフォン)は、Kと通信を続けていた。
K: ナイスな芝居だ、アーキテクト。奴はあんたに釘付けだ 俺: 時間がない。相田のデータを洗え。奴は「影の設計図」の“在処”を掴んでいたはずだ
Kと二人、フォレンジック・イメージの海を泳ぐ。 相田のPCは、几帳面な彼らしく、完璧に整理されていた。 だが、「影の設計図」など、どこにもない。
天海が、俺の背後で「評論」する。その声は、冷たく、粘っこい。 「黒沢さん、あなたの仮説(脆弱性)は、このA社のログを見る限り、成立しませんね。ここが『分断』されている以上、B社への電力制御は……」
うるさい。 俺はKに送る。 奴(相田)は「保守用パス」を“バグ”だと思っていた。それが間違いだったと、あんたは言った。なら、奴はどこで「真実(=仕様)」に気づいた?
K: ……待て。なんだ、これ。 K: 相田の個人カレンダーだ。普通の会議予定(ミーティング)だらけだが……一つだけ、妙なタグが付いている
タグ。 EA(エンタープライズ・アーキテクト)は、ファイルではなく「関係性(リレーション)」と「タグ」を見る。
タグの名は DT-Testbed_04 だった。 ホワイトボードの殴り書きだ。
俺: デジタルツイン – テストベッド04……。公式のアセットリスト(資産台帳)に、そんなサーバは存在しない K: ああ。存在しない。こいつは、天海が“公式図面”の外に隠した、奴専用の「砂場(サンドボックス)」だ 俺: 相田は、この“ゴースト・サーバ”に辿り着いていた……
K: ……ログインする。相田が、自分のPCに「鍵」を遺している……あった。 ……入った。 ……黒沢、冗談だろ
Kからのテキストが、一瞬、途切れた。
俺: どうした、K! 天海が俺の肩に手をかけた。「黒沢さん? 顔色が悪い。やはり、あなたの“仮説”は……」
K: 「影の設計図」を見つけた。 K: だが、それは「隠されたファイル」じゃなかった。
K: **天海の“デコイ(囮)”――あの「分断」された公式アーキテクチャ図。相田は、その“画像データそのもの”の内部(メタデータ)に、天海の「本物(シャドウ)」の設計図を“隠蔽(ステガノグラフィ)”していた**
相田は、気づいていた。 天海の「評論」の裏に隠された、「影のアーキテクト」の存在に。 そして彼は、最も安全な場所――敵の“設計図”の“内部”に、敵の「本性」を暴く「証拠」を隠した。
Kが、復元された「影の設計図」――そのペイロード(実行コード)を解析する。
K: ……まずい。 K: 黒沢、あんたの芝居はバレてる 俺: なんだと? K: **「ロックイン」は、「36時間後」じゃない。** K: **天海は、あんたが「監査」を始めた今、この瞬間……このNOCのサーバに、あんたが「物理的」にアクセスしたのを“トリガー”にして、プロセスを起動させた!**
その瞬間。 俺の背後で、天海が、静かに呟いた。
「――黒沢さん。あなたの“監査”は、タイムアップだ」
バシュウウウ! NOCの全アクセスドアが、一斉に物理ロックされる音。 室内の照明が赤色の非常灯に切り替わり、耳障りなアラートが鳴り響く。
「なっ……!?」景子が叫ぶ。「どうなってるの!?」 天海は、ゆっくりと俺を振り返った。 その顔は、もはや「評論家」のそれではない。 冷徹な、「影のアーキテクト」の顔だった。
「私の“影の設計図”へ、ようこそ、アーキテクト」 天海が、壁のコンソールを操作する。 「相田君は、知りすぎた。そして、あなたもだ」
コンソールの画面に、都市OSの「ロックイン」プロセスが、強制的に開始される表示。 残り時間――60:00。
「K!」俺は叫ぶ。「プロセスを止めろ!」 『無理だ! もう起動(イグニッション)しちまった! これは……これは、単なるロックインじゃない!』
Kのテキストが、絶望に震えていた。
K: **これは「論理爆弾(ロジックボム)」だ!** K: 60分後、このNOC(ここ)を“震源”にして、あの「保守用パス」が、都市全域の電力・交通・通信……全てのSCADAに対して、一斉に“解放”される!
天海が、狂気と歓喜の入り混じった笑みを浮かべた。 「さあ、黒沢さん。監査(デバッグ)の時間だ。あなたの“EA”としての“実行力”を、見せてくれたまえ」 「……この都市(すべて)が“密室”になる前に」
第4章 アーキテクトの“実行”
論理爆弾(ロジックボム)
カウントダウンタイマーが、NOCのメインスクリーンに赤く点灯した。 【59:47】 【59:46】
「論理爆弾(ロジックボム)」――。 それは、ハッカーが使う単なるウイルスではない。 アーキテクトが「設計」した、時限式の「構造改変」プログラムだ。 60分後、天海の「影の設計図」がOSカーネルと“融合”し、京浜臨海データ特区の全インフラ――電力、交通、通信、医療――が、天海の支配下に置かれる。 この都市が、まるごと天海の手のひらの上で踊る「デジタルツイン」と化す。
「K!」俺はインカムに叫んだ。「プロセスをキルしろ! Root権限(最高権限)で止められるはずだ!」
『無理だ!』 Kの焦燥が、ノイズ混じりに鼓膜を打つ。 『こいつは“停止”できない“設計”になっている! OSの起動シーケンスそのものに組み込まれてる! 止めようとすれば、OSごとクラッシュして、都市機能が全停止(ブラックアウト)する!』
「……それが、私の“安全装置(フェイルセーフ)”だよ、黒沢さん」
天海が、NOCの中央コンソールに悠然と腰掛け、俺たちを見下ろしていた。 その姿は、玉座に座る王のようだった。
「評論家は、常に“最悪”を想定する。君たちが私の“実行”を妨害しようとすれば、都市そのものが“死ぬ”。さあ、どうする? アーキテクト。君の愛する『実行』とやらで、この都市を『人質』から救ってみたまえ」
景子が震える声で俺に問う。 「……黒沢、本当なの? 私たちは、もう……チェックメイトなの?」 「落ち着け」 俺は思考を加速させる。 「天海は『評論家』だ。奴のロジックは完璧でなければならない。だが、奴は『実行』はしない。だから、奴の『設計図』には、必ず『他者の実行』を前提とした“隙間”があるはずだ」
『黒沢! 相田が隠した「影の設計図(メタデータ)」を解析した!』 Kが叫ぶ。 『こいつは「論理爆弾」であると同時に、「鍵」でもある!』
「鍵だと?」 『ああ! この爆弾は、起動時に“外部の定義ファイル”を一つだけ参照する設計になってる! おそらく、天海が後から“支配内容”を変更できるように組み込んだ「保守用の穴(バックドア)」だ!』
これだ。 「評論家」の傲慢さ。 天海は「実行」そのものをプログラムに組み込んだが、何を実行するかの「定義(=評論)」だけは、外部に残した。
「K! その“定義ファイル”のパスを教えろ! 相田が遺した『もう一つ』の設計図――奴が本当に描きたかった『オープンなアーキテクチャ図』を、そのパスに“上書き”する!」
『正気か!? 設計図で、設計図を上書きするだと? システムが……!』 「競合(コンフリクト)してクラッシュ上等だ! 天海の『支配』の定義を、相田の『解放』の定義で塗り潰すんだよ!」
俺は景子に叫んだ。 「景子さん! あなたのPCを、NOCのコンソール(天海が触れているやつ)に物理接続してくれ!」 「馬鹿なこと言わないで! 奴が何を……!」 「あんたのPCには、相田の『フォレンジック・イメージ』が入ってる! それが『鍵』だ! 早く!」
“分断”の逆用
【32:14】
「……なるほど。面白い」 景子が、決死の形相でコンソールに駆け寄り、ケーブルを接続するのを見て、天海は初めて「評論家」ではない、獲物を見つけた獣のような笑みを浮かべた。 「私の『影の設計図』に、相田君の『理想の設計図』をぶつけるか。アーキテクトらしい、実に“情緒的”な解決策だ」
天海は、コンソールから立ち上がらない。 「だが、無駄だ、黒沢さん」 天海がキーボードを叩き始めた。 「私は、このNOC(ここ)の管理者(アドミン)だ。そして君は『監査役』という名の“侵入者(ゲスト)”だ」
『くそっ!』 Kが呻く。 『天海が「鍵(定義ファイル)」へのアクセス権限(パーミッション)を変更しやがった! 書き込めない! ブロックされる!』
天海の指が、凄まじい速度でコンソールを踊る。 「評論家」の仮面を捨てた天海は、最強の「実行者(アーキテクト)」だった。 俺とKが「上書き」を試みるそばから、天海が「防御壁(ファイアウォール)」を構築し、アクセス経路を書き換えていく。 デジタルの攻防。アーキテクチャVSアーキテクチャ。
「無駄だと言ったはずだ!」 天海が叫ぶ。 「君が相田君の“理想”にアクセスしようとする限り、私の“現実”がそれを拒絶する! 君の“実行”は、私の“評論”にすら届かない!」
【10:03】
システムが悲鳴を上げ始めた。 二つの相反する「設計図」の激突に、OSカーネルが耐えきれず、NOC全体の非常灯が激しく明滅する。
『黒沢! ダメだ! 競合(コンフリクト)でメモリがオーバーフローする! このままじゃ、爆弾が止まる前に、都市OSが“脳死”するぞ!』
万事休すか。 俺は、燃え尽きるように倒れている「ラック07」――相田が死んだ、あの場所――を睨みつけた。
相田が死んだ「構造的欠陥」。 A社(セキュリティ)とB社(電力制御)の「分断」。 天海が「意図的に」残した「保守用パス」。
……待て。 なぜ、天海は、俺たちがNOCに入ってから「論理爆弾」を起動させた? なぜ、俺たちが「物理的」にアクセスするのを待った?
そうだ。 天海の「影の設計図(論理爆弾)」は、このNOC(物理)の「電力制御(SCADA)」システムと“直結”している。 だが、俺たちが今「上書き」しようとしている「定義ファイル」は、「A社(セキュリティ)」側のサーバ――つまり、天海のロジック上、「分断」されているはずのサーバに存在している!
天海は、「分断」を利用して俺たちを閉じ込め、「統合(=影の設計図)」を利用して爆弾を起動させた。
なら、その「逆」だ。
「K!」 俺は叫んだ。 「相田の『設計図(ファイル)』を、A社(セキュリティ)のサーバに、全データ、転送し続けろ! 止めるな!」
『何言ってんだ! 書き込めないって……!』 「いいからやれ! 天海のブロックごと、パケットを叩き込み続けろ!」
俺は、景子に向き直った。 「景子さん! あんたが、この勝負を決めるんだ!」 「私……?」 「そうだ! 相田が死んだ『ラック07』に行け! そこに『B社(電力制御)』の、物理的な“緊急停止(シャットダウン)”スイッチがあるはずだ!」
天海が、俺の意図に気づき、血相を変えた。 「やめろ、黒沢! それをすれば……!」
「そうだ!」 俺は叫んだ。 「それをすれば、このNOC(ここ)の『電力制御(B社)』が、物理的に“死ぬ”! あんたの『論理爆弾(=影の設計図)』は、実行権限(電力)を失い、停止する!」
天海がコンソールから駆け寄り、俺に掴みかかろうとする。 「だが、同時に! このNOCのシステムもすべて落ちる! あんたの『監査』も、Kの『転送』も、すべてが闇に……!」
「違うな」 俺は、天海の胸を突き放した。
「Kが転送している『A社(セキュリティ)』サーバは、別系統(UPS)だ! 『分断』されているからこそ、電力(B社)が死んでも、セキュリティ(A社)は生きている!」
俺は天海を睨みつけた。 「あんたが『分断』させた“構造”を、今ここで、俺が『利用』させてもらう!」
俺は景子に叫んだ。 「景子さん! “実行”しろ!」
景子は一瞬ためらった。だが、俺の目を真っ直ぐに見ると、決然と頷き、ラック07へ走った。 「やめろ!」天海が叫ぶ。
【00:03】 【00:02】
景子が、赤い「緊急停止(EMERGENCY SHUTDOWN)」のカバーを叩き割り、スイッチを押し込んだ。
【00:01】
【00:00】
――沈黙。
NOCのすべての照明が消えた。 カウントダウンタイマーが消えた。 冷却ファンのうなりが止まった。 天海の「論理爆弾」が、起動の瞬間に「実行力」を失い、停止した。
暗闇の中、息遣いだけが響く。
……数秒後。 ぼんやりと、青いLEDが再び灯った。 A社(セキュリティ)サーバと、俺たちの端末。 UPS(無停電電源装置)で稼働する、最低限のシステム。
俺の端末に、Kからのメッセージがポップアップした。
> 『……転送、完了』 > 『「論理爆弾」の定義ファイルは、相田の「オープン・アーキテクチャ」に、正常に“上書き”された』 > 『電力(B社)が復旧しても、天海の「影の設計図」が起動することはない』
“実行”の証拠
暗闇の中、天海が立ち尽くしていた。 もはや「評論家」でも「アーキテクト」でもない。 ただの「敗者」の顔だった。
「……なぜだ」 天海が絞り出した。 「なぜ、私の『設計』が、あんな若造(相田)の“理想論”に……」
「あんたは“密室”を作った」 俺は、静かに言った。 「だが、相田は“窓”を作ろうとした」
「あんたは『分断』を利用して『支配』しようとした。相田は『分断』を『統合』して『解放』しようとした」
「あんたの『影の設計図』は、あんた自身(アドミン)しか使えない“閉じた”アーキテクチャだ。だが、相田の『設計図』は、誰もがアクセスできる“開かれた”アーキテクチャだ」
俺は、天海の目の前に、Kが確保した「実行ログ」を突きつけた。 このNOC内部で、天海が「論理爆弾」を起動し、俺たちの「監査」を「物理的」に妨害した、完璧な「実行」の証拠だ。
「あんたは『評論家』として『退却』したつもりだったんだろうがな、天海」 「だが、最後にあんたは、俺を止めるために“実行”した」
「あんたの“不在証明(アリバイ)”は、今、あんた自身の手で破棄されたんだよ」
NOCの重い扉が、外部からの手動操作でこじ開けられる音がした。 景子が確保していた警察が、突入してくる。
光が差し込む中、天海は、もはや何の「評論」も発することなく、崩れ落ちた。
エピローグ
数ヶ月後。 「京浜臨海データ特区」のオペレーションセンターは、再稼働していた。 以前の「神の沈黙」とは違う。 青いLEDは、都市の活発なデータフローを反映し、生き生きと明滅している。 OSの核(カーネル)には、相田誠が遺し、黒沢錬が「実行」した、「オープン・アーキテクチャ」が組み込まれていた。
利根川景子が、完成したセンターで黒沢にコーヒーを渡した。 今度は、温かい。
「……結局、『K』は、誰だったの?」 「さあな」 俺は肩をすくめた。 「どこかの“評論家”が、“実行”したくなっただけかもな」
景子は、相田が死んだラック07に、そっと花を添えた。 そこはもう、ただのサーバラックに戻っていた。
「天海は……」 「法廷でもまだ“評論”を続けてるそうだ」 俺は、差し込む光を見つめた。 「『私は国家の安全保障のために、より高次の“設計”を行っただけだ』と」
「……愚かね」 「ああ。だが」
俺は、青く輝くサーバ群――「統合」され、「解放」された新しいアーキテクチャ――を見つめた。
「“実行”なき“評論”は、犯罪だ。だが、“統合”なき“実行”は、ただの暴力だ」
相田の「設計図」は、それを教えてくれた。
「行くよ、景子さん」 俺はコートの襟を立てた。
「次の“現場”が待ってる」
(了)



































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