あらすじ
嵐が吹き荒れる孤立した洋館に集められた、IT企業のCEO、ファッション誌編集長、外科医、美術商、歴史学者、そして元心理カウンセラーの6人の日本人。彼らを招いた謎の人物「K」は告げる。「偽りの自己紹介を清算せよ。真の自分を明かさぬ者に、朝は来ない」。
最初の犠牲者が密室で発見され、現場には彼の「偽りの成功」を示す手がかりが残されていた。極限状態に陥る中、元心理カウンセラーの篠宮悠は、互いに疑心暗鬼を向ける彼らの自己紹介に隠された、それぞれの醜い真実と罪を暴き始める。
だが、これは単なるKの復讐か?それとも、この中に潜む真犯人の別の意図か?偽りに塗り固められた「肖像」は、彼ら自身の首を締め上げ、避けられない運命へと導く。この洋館で、真実が彼らを**「絞首台」へと追い詰める**――。
登場人物紹介
篠宮 悠(しのざき ゆう)
元心理カウンセラー。鋭い観察眼と洞察力で、言葉の裏に隠された人間の心理を見抜く。過去の経験から「偽り」に敏感で、事件の真相に迫る探偵役。冷静沈着だが、心の奥には人間の闇と向き合う葛藤を抱えている。
K(謎の主催者)
洋館に6人を招き入れた正体不明の人物。機械的な声で「偽りの清算」を告げ、参加者たちを心理的な極限状態へと追い詰める。彼自身も、かつては登場人物たちの「偽り」によって人生を破壊された過去を持ち、その壮絶な復讐計画の全貌が物語の鍵となる。
神崎 隆一(かんざき りゅういち)
自称「IT企業の若きCEO」。華やかな成功を語るが、その輝かしい経歴の裏には巧妙な技術盗用と詐欺が隠されている。完璧すぎる自己紹介が、最初の犠牲となる彼の運命を暗示する。
沢田 美咲(さわだ みさき)
有名ファッション誌の敏腕編集長。常にトレンドの最先端を走り、「影響力」を自負する。しかし、その影響力は他者のスキャンダルを操り、名誉を毀損することで築かれてきた。冷徹な視線は、周囲を見下すような傲慢さを滲ませる。
藤原 健太(ふじわら けんた)
地元の名門病院の外科医。責任ある仕事と自負するが、常にどこか怯え、自信なさげ。その背中には、過去に患者の命を奪った医療ミスを隠蔽したという、重い秘密がのしかかっている。
吉田 聡(よしだ さとし)
国内外で活躍する美術商。真贋を見極める目には自信があると豪語するが、その実態は偽作を本物と偽って高値で売りさばいてきた詐欺師。巧みな笑顔の裏に、自身の利益のためなら手段を選ばない冷酷さを隠している。
小野寺 咲(おのでら さき)
大学で歴史学を研究する知的な女性。古文書の解読を専門とし、「人類の失われた歴史を紐解く」という高潔な目標を持つ。しかし、彼女もまた、金銭のために古文書の真実の一部を意図的に隠蔽した過去を抱えている。
第一幕:招かれざる晩餐会と自己紹介の始まり
その洋館は、地図から消え去った場所にあった。鬱蒼とした森の奥深く、獣道すら途絶えた先に、まるで時が止まったかのように古びた洋館は、冷たい雨に打たれ静かに佇んでいた。季節外れの嵐が吹き荒れ、木々のざわめきが低く唸る。ここは、岩手県盛岡市から遥かに離れた、人里離れた山中だ。雷鳴が轟くたび、洋館の古びたガラス窓がカタカタと震え、まるで何かの始まりを告げているようだった。
一台の黒いセダンが、泥だらけの私道を進み、軋んだ音を立てて玄関先に停車した。篠宮悠は傘を差し、車を降りる。元心理カウンセラーという肩書は今は過去のものだが、人の心の機微には今も人一倍敏感だった。洋館の重厚な扉には、ただ「K」とだけ記された真鍮のプレートが貼られている。招かれた理由は不明だが、送られてきた招待状には抗いがたい魅力があった。奇妙な好奇心と、かすかな不安が、彼の心を支配していた。
篠宮に続いて、数台の車が到着した。まず降りてきたのは、神崎隆一。自称「IT企業の若きCEO」は、嵐の中も変わらずにこやかな笑みを浮かべていたが、その目に宿る過剰な自信は、篠宮にはどこか不自然に映った。スーツの仕立ては完璧だが、その表情筋は常に計算されているかのようだ。次に現れたのは、沢田美咲。彼女は「有名ファッション誌の敏腕編集長」と自己紹介に記されていたが、その視線は凍てつくように冷たく、篠宮は思わず身構えた。まるで、他人の心を値踏みし、選別するような眼差しだ。そして、どこか怯えたような表情の藤原健太、「地元の名門病院の外科医」と聞けば誰もが信頼を寄せるだろうが、彼の猫背は自信のなさを示しているようだった。嵐の音にさえびくつく姿は、医者という堂々たる職業には似つかわしくない。その後、どこか胡散臭さを感じさせる吉田聡。「国内外で活躍する美術商」と聞いて、篠宮はすぐに彼の表情筋が常に計算されていることに気づいた。その営業スマイルは、貼り付けられた仮面のようだ。最後に現れたのは、小野寺咲。彼女は「大学で歴史学を研究する傍ら、古文書の解読を行っている」という知的な女性だったが、その纏う雰囲気は、どこか現実離れしていた。まるでこの世の出来事とは無縁であるかのように、彼女の瞳は遠くを見つめていた。
互いに一瞥を交わすだけで、言葉を交わすこともなく、彼らは洋館の扉へと向かった。扉は音もなく開き、まるで招き入れるように暗闇が広がっていた。中から漂うのは、古びた木材と埃、そして何か重苦しいものの匂い。
広間に通されると、中央には豪奢なマホガニー製の大きな食卓が据えられていた。食事は既に用意されており、沈黙の中で各々が席に着く。肉料理の芳醇な香りが広がるが、誰もがその料理に手を付けることなく、重苦しい空気が場を支配していた。窓の外では、嵐がさらに激しさを増し、風がヒューヒューと不気味な音を立てていた。
突然、部屋の隅に設置されたスピーカーから、ざらついた声が響き渡った。
「ようこそ、我が館へ。私はKと申します。」
どこか機械的なその声は、性別すら判別できない。参加者たちは互いに顔を見合わせた。
「諸君らをこの場に招いたのは、他でもない。諸君らが長きにわたり、社会に、そして私自身に与え続けてきた『偽り』を、今宵、清算するためだ。」
場の空気が一気に凍り付く。誰かが息を呑む音が聞こえた。
「今宵、真の自分を明かさぬ者に、朝は来ないだろう。」
Kの声は、不気味なまでに静かだった。その言葉が単なる比喩ではないことを、篠宮の第六感が告げていた。
「それでは、自己紹介を始めてもらおう。まずは、そちらの……神崎隆一氏からだ。」
神崎がぎくりと体を震わせた。強張った顔で立ち上がった彼は、震える手でグラスの水を一口飲んだ。
「ええと、神崎隆一です。IT企業の代表を務めております。若くして数々のベンチャー企業を成功に導き、業界では『時の人』などと呼ばれたりも……」
彼は語尾を濁したが、その言葉には自信と自慢が滲み出ていた。しかし、篠宮の目には、その完璧すぎる自己紹介の裏に、どこか空虚な響きが感じられた。神崎が言葉を区切るたび、彼の指先がわずかに震えているのを篠宮は見逃さなかった。成功は事実だろうが、その過程には何か隠されたものがある。
次に立ち上がったのは沢田美咲だった。彼女は口角をわずかに上げ、冷徹な視線を周囲に配した。
「沢田美咲です。ファッション誌の編集長をしております。常に最先端のトレンドを生み出し、社会に大きな影響を与えていると自負しております。」
その言葉は、まるで周囲を見下しているかのようだった。篠宮は、彼女の「影響力」という言葉の裏に、何か不穏なものが潜んでいるような気がした。彼女の視線が、他の参加者をまるで無価値なもののように測っている。
藤原健太の番になると、彼は声が震えていた。顔には脂汗がにじんでいる。
「藤原、健太です。外科医を…しております。患者さんの命と向き合う、責任ある仕事です。メスは人を救うが、時に……予期せぬ結果をもたらすことも、あります。」
彼の最後の言葉は、ほとんど独り言のようだった。真面目な声だったが、その言葉には嘘偽りがなくとも、どこか自信のなさ、怯えが滲み出ていた。篠宮は、彼が何か重大なことを隠しているのではないかと直感した。
吉田聡は、にこやかな笑顔を貼り付けたまま話し始めた。その目は、相変わらず落ち着きなく周囲を探っている。
「吉田聡と申します。美術商を営んでおります。国内外の美術品を扱っており、真贋を見極める目には自信があります。しかし、真贋など、光の当て方一つでどうとでも変わるものですがね。」
彼の言葉に、かすかな嘲りが含まれているのを篠宮は聞き逃さなかった。その「真贋を見極める目」という言葉が、この場でどういう意味を持つのか、ふと疑問に思った。
最後に小野寺咲が、ふわりと立ち上がった。その動きは、まるで現実から切り離されているかのようだ。
「小野寺咲です。大学で歴史学を研究しています。特に古文書の解読を専門としており、人類の失われた歴史を紐解くことに日々尽力しております。…ですが、紐解かれた歴史が、必ずしも真実とは限らないことも、また歴史が証明しています。」
彼女の言葉は静かで穏やかだったが、そのあまりにも学術的な自己紹介は、この不穏な場ではどこか浮いているように感じられた。しかし、彼女の口から出た最後の言葉は、奇妙なほど現実味を帯びていた。
それぞれの自己紹介が終わると、Kの声が再び響いた。
「ご苦労。これで、諸君らの『肖像』は整った。今宵は、ゆっくり休むといい。真実が明かされるのは、夜が明けてからだ。ただし……真の自分を明かさなければ、夜明けは永遠に来ないだろう。」
Kの言葉が終わると同時に、広間の灯りがフッと消えた。漆黒の闇が広間を包み込み、参加者たちの間にざわめきが起こる。誰かが携帯電話を取り出し、画面を覗き込むが、圏外を示す表示に絶望の声が上がった。
「なんだ、電波が通じないぞ!」 「電話も通じない!完全に孤立してる!」
洋館の壁から、不気味な軋み音が響いてきた。まるで洋館自体が、彼らを飲み込もうとしているかのようだ。外では嵐がさらに激しさを増し、窓ガラスを叩きつける雨粒の音が恐怖を煽る。まるで、外界から完全に切り離されたかのように、洋館は深い闇の中に沈黙した。
篠宮は、Kの「今宵、真の自分を明かさぬ者に、朝は来ないだろう」という言葉を反芻していた。そして、それぞれの「自己紹介」が、この密室で何らかの意味を持つことを確信した。明日の朝、一体何が明かされるのか。あるいは、誰が明かされるのか。不吉な予感だけが、彼の胸に募った。
第二幕:偽りの肖像と深まる闇
夜が明けても、嵐は依然として吹き荒れていた。午前七時、広間に集まるはずの朝食の時間になっても、神崎隆一の姿は現れなかった。他の参加者たちが訝しげに囁き合う中、篠宮は言い知れない胸騒ぎを覚えた。
「ちょっと見てきましょうか?」
藤原が恐る恐る提案し、数人が神崎の部屋へ向かうことになった。篠宮もそれに続いた。神崎の部屋のドアには鍵がかかっており、いくらノックしても返事はない。不審に思った吉田が、肩でドアを強く押し開けた。軋んだ音を立ててドアが開き、部屋の内部が露わになる。
ベッドの上で、神崎隆一は横たわっていた。しかし、その顔はすでに血の気を失い、目は虚ろに天井を見つめている。首には絞められたような痕跡がくっきりと残されていた。
「ひっ……!」
小野寺の悲鳴が、静寂を破った。誰もが息を呑み、その光景に立ち尽くす。篠宮は冷静に一歩足を踏み入れ、部屋を見渡した。窓は内側からしっかりと施錠されており、換気扇のようなものも見当たらない。まさしく密室だ。部屋全体に漂う、甘ったるい花の香りが、妙に死臭と混じり合っていた。
神崎の傍らには、彼の自己紹介を裏付けるかのように、いくつかの書類が散らばっていた。篠宮の視線が、その中の一枚の契約書に釘付けになる。それは大手企業のロゴが入ったものだったが、よく見るとフォントの細部にわずかな不自然さがある。まるで、巧妙に偽造されたかのようだった。その書類の下には、小さな白い花弁が散らばっている。昨晩、テーブルに飾られていた花の一部だろうか。
篠宮は、Kの言葉を思い出していた。「今宵、真の自分を明かさぬ者に、朝は来ないだろう」。そして、神崎隆一の**「完璧な自己紹介」が、奇妙なほど現場に残された偽造契約書と、そしてその花弁と結びついている**ことに気づいた。神崎は、自身の技術を盗まれ、すべてを失ったKの怒りの象徴だったのかもしれない。
神崎の死は、残された参加者たちの間に深い疑心暗鬼を生み出した。広間に集まった彼らは、互いを睨みつけ、口々に疑念をぶつけ合った。
「一体誰がやったんだ!?」 藤原が青ざめた顔で叫んだ。その顔色は、神崎の死体とさほど変わらないほどだった。 「あんたじゃないのか!? 昨日からずっと落ち着きがなかったじゃないか!」 吉田が藤原を指さした。彼の目は、獲物を探すようにギラついている。 「何を言ってる! お前だってそうだろ、やましいことがある顔だ!」
言葉の応酬が続き、誰もが疑心暗歩の塊と化していた。篠宮は、その混乱の中で冷静に状況を観察していた。
「皆さん、落ち着いてください。」
篠宮の声が、場のざわめきを静かに制した。
「Kは言いました。『真の自分を明かさぬ者に、朝は来ないだろう』と。そして、神崎さんの自己紹介は、現場に残された偽造契約書と符合しています。」
彼はゆっくりと話し始めた。
「もし、この殺人がKの警告と関係しているのなら、私たちの中にいる『真の自分を明かさなかった者』こそが、次の標的になるか、あるいは犯人である可能性が高い。」
沢田が腕を組み、冷ややかな視線を篠宮に向けた。
「つまり、もう一度、私たちがお互いの自己紹介を徹底的に洗い直せというの? 馬鹿馬鹿しい。そんな子供騙しに付き合ってられるか。」
「しかし、他に手がかりはありません。」篠宮はきっぱりと言った。「Kは、私たちが自らの真実を暴き合うことを望んでいる。そうでなければ、次の犠牲者が出る。もう一度、皆さん、ご自身の自己紹介を、より詳細に語っていただけませんか? どんな些細なことでも構いません。そして、その自己紹介に、隠された真実がないか、考えてみてください。あなたが隠していることは、何ですか?」
誰もが自分の「偽り」が暴かれることを恐れていた。しかし、次なる犠牲者になるかもしれないという恐怖が、彼らを突き動かした。重い沈黙の後、吉田が口を開いた。
「わかったよ。やればいいんだろう。でも、俺の自己紹介に隠し事なんてねえよ。俺はただ、美術を愛する男だよ。」
彼の言葉は、嘘を含んでいることを示唆していた。吉田の唇の端が、微かに引きつっている。
篠宮は、一人ずつと、あるいは少人数で話し込み、自己紹介の裏に隠された真実を探っていった。洋館の不気味な廊下、埃っぽい書斎、あるいは冷たい石造りの地下室……どこにいても、逃げ場のない閉塞感が彼らを包み込む。
図書室で、藤原健太は憔悴しきった様子で座っていた。顔には無精髭が生え、その目は充血していた。篠宮は彼に、彼の自己紹介の「責任ある仕事」という言葉について尋ねた。
「藤原さん、過去に、何か、医療に関する問題に直面したことはありませんか? 例えば、メスが人を救う一方で、時に予期せぬ結果をもたらすように。隠蔽された記録、あるいは消された事実。」
藤原の顔色が一瞬にして変わった。彼は俯き、蚊の鳴くような声で語り始めた。数年前、彼が担当した手術で、小さなミスが患者の死につながったこと。病院がそれを揉み消し、彼のキャリアを守ったこと。彼自身も、その闇から逃れようと必死だったこと。彼の「信頼性」という自己紹介の裏には、隠された医療ミスという重い過去があった。彼はその事実を必死に隠してきたが、Kはそれを知っていた。藤原の指先が、絶えず震えている。
次に、篠宮は吉田聡に、彼が「真贋を見極める」と豪語した美術品の知識について尋ねた。吉田は最初は煙に巻こうとしたが、篠宮が洋館の片隅で見つけた古い新聞記事を示した途端、顔色を変えた。それは、吉田が過去に、有名画家の偽作を本物と偽って高値で売りさばいていたというスクープ記事だった。彼の「真贋を見極める目」は、皮肉にも己の利益のために歪められていたのだ。吉田は自分の自己紹介の最大の強みであるはずの「真贋」を、自ら穢していた。
小野寺咲は、古文書の解読という自己紹介に誇りを持っていた。彼女の目には、どこか夢想的な輝きがあった。篠宮が彼女に、最近解読した特定の古文書について尋ねると、彼女は妙に口を閉ざした。篠宮が洋館の書斎で偶然見つけた、小野寺宛ての匿名の手紙には、ある企業から極秘の古文書解読を依頼され、その内容の一部を意図的に隠蔽するよう指示されたことが示唆されていた。彼女の「人類の失われた歴史を紐解く」という使命感は、金銭によって汚されていたのだ。真実を解読する者が、自ら真実を隠蔽していた。彼女の指先が、神経質に自身の眼鏡を押し上げていた。
それぞれの自己紹介の裏に、醜い真実が隠されていることが明らかになるにつれて、篠宮はKの真の目的が見え始めたような気がした。
真相に近づきつつある中、再び悲劇が起こった。夕食の準備をしていたメイドが、沢田美咲の部屋から悲鳴を上げた。篠宮たちが駆けつけると、そこにはベッドに横たわる沢田の姿があった。彼女の首には、またしても絞められたような痕跡が残されていた。部屋に漂う、甘い香水の匂いが、ひどく場違いに感じられた。
部屋は荒らされた形跡はなく、神崎の部屋同様、密室状態だった。しかし、今回の現場には、神崎の時とは異なる、より明確なメッセージが残されていた。ベッドサイドのテーブルには、有名人のスキャンダル記事の切り抜きが無造作に置かれ、その上には「真実を弄ぶ者」と書かれた走り書きがあった。切り抜きの下には、数枚の小さなバラの花びらが散らばっていた。神崎の部屋と同じ、白い花びらだ。
篠宮は、沢田の「トレンドを生み出す」という自己紹介の裏にあった、ゴシップを利用した他者の名誉毀損や、強引な情報操作という真実に思い至った。犯人は、彼女の「自己紹介」が意味する**「影響力」を逆手に取り、その罪を問うかのようなメッセージを残したのだ。**
連続殺人の発生は、残された参加者たちを極限状態に陥れた。犯人はまだこの中にいる。そして、次の標的になるのは、自分かもしれない。Kへの憎悪と、犯人への恐怖が、洋館の空気を支配した。篠宮の脳裏には、それぞれの偽りの肖像と、Kの真意が、絡み合いながら浮かび上がっていた。
第三幕:真実の解剖と結末
二人の犠牲者、そして各々の自己紹介に隠された矛盾の連鎖は、篠宮の脳内で一本の線として繋がっていった。広間に残された藤原、吉田、小野寺の三人は、極度の緊張と疲労で顔色を失っていた。互いへの猜疑心が、空気のように彼らを重く締め付けていた。彼らの目には、猜疑心と、そして自分の偽りが暴かれることへの底なしの恐怖が宿っていた。
「皆さん、Kの正体、そして目的が分かりました。」
篠宮の静かな声が、張り詰めた広間に響いた。三人の視線が彼に集中する。
「Kは、私たち全員が過去に、偽りの自己紹介によって、あるいはその自己紹介の裏にある隠された真実によって、彼自身、もしくは彼の大切な人を傷つけた人物です。」
Kの声が、再びスピーカーから流れてきた。だが、今回はどこか生々しい感情が宿っているように感じられた。それは、絶望の淵から這い上がってきた人間の声だった。
「篠宮悠、ご明察だ。私がこの復讐劇を仕組んだのは、諸君らが己の『偽りの肖像』を盾に、どれほど多くのものを踏みにじってきたか、その罪を償わせるためだ。」
Kは、各々の過去の罪を詳細に語り始めた。神崎隆一が偽造によって奪った企業の技術、沢田美咲がスキャンダルで貶めた個人の名誉。そして、藤原の医療ミスによる患者の死、吉田の偽作販売による芸術家たちの絶望、小野寺が隠蔽した古文書が引き起こした歴史の改ざん……Kの声は、それぞれの「自己紹介」が、いかに社会を欺き、他者を傷つけてきたかを容赦なく暴き立てた。
「私はかつて、技術者としての誇りを持っていた。誠実な自己紹介こそが信頼を生むと信じていた。だが、神崎隆一のような偽りの天才によって、全てを奪われた。私の会社は潰れ、私の技術は盗まれ、私の人生は破滅した。私が生み出したものが、彼の偽りの成功の道具にされたのだ。」
Kの言葉には、深い悲しみと、それを上回る怒りが込められていた。
「諸君らは己の虚飾のために、真実を捻じ曲げ、人生を狂わせてきた。だからこそ、その『偽りの自己紹介』こそが、諸君らの罪を暴く鍵となるのだ。彼らの死は、諸君らの偽りの業が引き起こした当然の報いだ。」
Kの言葉は、明確な怒りを帯びていた。篠宮は、Kが仕組んだこの「自己紹介のミステリー」の全体像を理解した。これは単なる復讐ではなく、彼らに自らの「偽り」と向き合わせるための、残酷な仕打ちだったのだ。
Kの告白は、残された三人の容疑者をさらに追い詰めた。彼らは青ざめ、Kの言葉が真実であることを悟った。しかし、Kは犯人ではない。Kはただこの場を設定し、復讐の舞台を整え、そしてそのきっかけを作っただけだ。
「さて、残るは真犯人だけです。」
篠宮は、冷徹な視線で三人を順に見つめた。彼の脳裏では、神崎と沢田の殺害状況、そして残された手がかりが、それぞれの自己紹介と結びつき、ある一点を指し示していた。犯人はKの計画に乗じ、自身の隠蔽したい「真実」を守るため、あるいは個人的な恨みを晴らそうとしたのだ。
「真犯人は、あなたですね、吉田聡さん。」
篠宮の声は、静かだが確信に満ちていた。吉田の顔から血の気が引き、貼り付けた笑顔が歪んだ。その瞳は、もはや偽りの自信ではなく、純粋な恐怖に満ちていた。
「な、何を言っている! 私が、美術商の私が、殺人を犯すわけが……」吉田は震える声で否定した。
「あなたの自己紹介、『真贋を見極める目には自信があります』。その言葉は、誰よりも巧妙に『偽り』を隠すことができる、という裏の意味を持っていた。」篠宮は続けた。「神崎さんの部屋に残された花びらは、あの晩餐の食卓に飾られていたバラの一部です。そして、その花は、あなたから神崎さんに贈られた花瓶に活けられていましたね。神崎さんを殺害したのは、彼が偽造によって成功した事実を知り、その情報をKに渡されることを恐れたためでしょう。そして、沢田さんを殺害したのは、あなたが過去に偽作を本物と偽り売りさばいたスキャンダルを、彼女が記事にしようとしていたからです。沢田さんの部屋に残された切り抜きは、まさにその証拠でした。あなたにとって、偽作の『真贋』とは、自分にとって都合が良いか悪いか。その真実が暴かれることを恐れ、あなたはKの計画に乗じて、彼らを殺したのです。」
吉田は全身を震わせ、ついに観念したかのように顔を歪めた。
「ぐっ……そうだ! 俺は、神崎の偽造技術を暴けば、俺の過去も明るみに出ると思ったんだ! 沢田は、俺のスキャンダルを嗅ぎつけて、記事にすると脅してきたんだ! あの女は俺の人生を壊そうとした!」
吉田は狂ったように叫んだ。彼の「真贋を見極める目」は、真実と嘘を見分けるためではなく、己の利益のために悪用されていた。彼の自己紹介は、最も巧妙に練り上げられた「偽りの肖像」だったのだ。
吉田聡が観念し、その場で警察に引き渡された。夜が明け、嵐は完全に去っていた。洋館の窓からは、嘘のように穏やかな朝陽が差し込んでいる。しかし、その光は、この洋館で起こった惨劇と、暴かれた人間の醜い真実を、より一層際立たせるかのようだった。
生き残った藤原健太と小野寺咲は、放心状態のまま洋館の玄関に立っていた。彼らの顔には、事件の恐怖だけでなく、自らの「偽り」が露呈したことへの羞恥と後悔が刻み込まれていた。彼らは、もう二度と、軽々しく自己紹介を口にすることはできないだろう。彼らの視線は、もはやどこか遠く、虚空を見つめているようだった。
篠宮は、彼らを静かに見送った。彼の心には、複雑な感情が渦巻いていた。真実が暴かれることは、時に残酷だ。しかし、同時に、それは新たな始まりを告げるものでもある。
「偽りの肖像」の陰に隠された真実が暴かれ、復讐は遂げられた。だが、この事件は、自己紹介が単なる表面的な情報ではなく、人間の本質、そしてその罪深さをも映し出す鏡であることを、篠宮に強く認識させた。
洋館の重い扉が、静かに閉まる。その向こうには、彼らが向き合わなければならない、新たな「真実」が待っているのだ。
エピローグ:残された問い
洋館の事件から数ヶ月後。篠宮悠は、都心の喧騒から離れたカフェで、淹れたてのコーヒーをゆっくりと口に含んでいた。テーブルには、先日発売された雑誌が広げられている。そこには、洋館での事件を題材にした特集記事が組まれていた。もちろん、事件の詳細は伏せられ、あくまで「奇妙な出来事」として記述されている。
彼の目の前には、藤原健太と小野寺咲が座っていた。あの忌まわしい夜以来、彼らは定期的に篠宮と会っていた。二人の顔には、以前のような怯えや取り繕うような表情はもはやない。代わりに、どこか割り切ったような、しかし深い疲労を宿した複雑な感情が刻まれていた。
「あの夜以来、医者を辞めました」と藤原が言った。「もう、あんな偽りを抱えたまま、人の命と向き合うことはできません。今は、小さなクリニックで事務の手伝いをしています。」 彼の声には、後悔と、そしてわずかな安堵が混じっていた。彼は、Kが自分たちに課した「清算」を受け入れたようだった。自らの過ちと向き合い、新たな道を選んだのだ。
小野寺は、静かに頷いた。 「私も、大学での研究を一時中断しています。あの古文書の真実を、きちんと公表するべきか……今も悩んでいます。」 彼女の瞳には、まだ迷いが見えた。真実を公表すれば、彼女自身のキャリアも、そして関わった組織も大きな打撃を受けるだろう。それでも、偽りの上に成り立つ研究を続けることへの苦痛が、彼女を蝕んでいた。彼女の指先が、無意識にテーブルの上のグラスを撫でていた。
篠宮は、二人の言葉をじっと聞いていた。あの事件は、彼らから多くのものを奪った。しかし同時に、彼らから「偽り」という重荷を取り除いたとも言える。それは、Kが意図した「清算」だったのかもしれない。
「Kは、今、どこにいるのでしょうね」と、ふと小野寺が呟いた。 吉田聡は逮捕されたが、Kの行方は杳として知れない。彼は、目的を達成し、姿を消したのだ。彼の復讐は、法では裁かれない形で行われたが、確かにそこに存在した。
篠宮は窓の外に目を向けた。都会のビル群は、まるで無数の「自己紹介」が積み重なってできた虚構の塔のようだ。誰もが、多かれ少なかれ、自分を偽って生きている。その偽りが、いつか誰かを傷つけ、自分自身を蝕むこともある。
あの洋館での事件は、彼らにとって、そして篠宮自身にとっても、「自己紹介」という行為の持つ、途方もない深淵を見せつけるものだった。人はなぜ、自らを偽るのか? そして、その偽りの奥に隠された「真実」とは、一体何なのだろうか?
篠宮の心には、新たな問いが生まれていた。それは、彼が再び「心理」と向き合うきっかけとなる、静かな兆しだったのかもしれない。彼の視線は、遠く盛岡の街並みへと向けられていた。どこかのビルの一室で、また新たな「偽り」が生まれ、そして、それはいつか暴かれる時が来るのだろうか。この社会のどこかに、Kのような復讐者が、また生まれているのかもしれない。



































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