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『呪われた廃墟』

あらすじ

黒木蓮はミステリー小説家。彼は犯人の心を深く知ることに異常なほど執着していた。しかし、最近はアイデアが枯渇し、スランプに陥っていた。彼の周りでは事件らしい事件が全く起きず、その平穏さが逆にイライラを募らせていた。

ついに黒木は、危険な決断を下す。自ら「事件」を模倣することで、犯人の感情をリアルに体験しようと考えた。

彼が選んだ舞台は、近所で**「幽霊屋敷」として恐れられていた古い洋館**。誰も近づかないその場所なら、完璧な模倣行為を実行できる、そう踏んでいた。しかし、洋館で完璧な模倣を試みた時、彼は予期せぬものを見つける。それは、床下に隠された古びたトランクと、そこから漂う不穏な冷気だった。

トランクの中には、数十年前の日記があった。その日記は、屋敷で起きた複数の不審な死と、それを追っていたある人物の記録を綴っていた。だが驚くべきことに、その記録に書かれた犯行手口は、黒木自身の模倣行為と奇妙なほどそっくりだった。

過去と現在、二つの事件が複雑に絡み合い、黒木は自らが仕掛けた小さな模倣が、想像を絶するほど巨大な真実の扉を開いてしまったことに気づく。

果たして、幽霊屋敷に潜む真の闇とは何なのか? そして、黒木の行動は、誰かの心を刺激し、新たな悲劇を呼び起こしてしまったのか? 真実を追い求める彼の探求は、やがて自身の命をも脅かす、スリリングな展開へと加速していく。


登場人物

  • 黒木 蓮(くろき れん): ミステリー小説家。30代後半。過去の事件を題材にしたリアリティ溢れる作品で評価されているが、近年スランプに陥っている。物事の本質を深く観察し、真実を追求することを己の使命と考えるがゆえに、犯人の心情を理解することに異常なまでに執着する。その探求心は、時に常軌を逸した行動へと彼を駆り立てる。痩せ型で神経質な印象だが、その奥には強い意志と知性を秘めている。
  • 佐伯 宗一郎(さえき そういちろう): 幽霊屋敷の元住人。数十年前の日記の書き手。黒木が見つける日記を通して、彼の過去の調査と真実への探求が明らかになる。彼が屋敷で遭遇した不審な出来事の記録が、物語の重要な鍵となる。故人であるにもかかわらず、その執念と鋭い洞察力が、黒木の推理を導いていく。彼の人物像は徐々に明らかになっていく。
  • 田中(たなか): 黒木の調査が進む中で現れる、初老の元刑事。数十年前の幽霊屋敷の事件を担当したが、納得のいかない形で捜査が打ち切られた経緯を持つ。黒木の危険な探求に対し、助言を与えることもあれば、警鐘を鳴らすこともある。その真意は物語が進むにつれて明らかになる、ミステリアスな存在
  • 杉山 隆(すぎやま たかし): 佐伯家の遠縁の親族。表向きは温厚で地域の有力者だが、その過去には深い闇を抱えている。物語全体の緊張感を高める、見えない脅威

第一章:枯渇と誘惑

黒木蓮はミステリー小説家だった。彼の作品は、表面的な事件の裏に潜む人間の本質や、隠された真相を鋭く抉り出すことで、読者から高い評価を得ていた。彼は、物事の裏にある真実をどこまでも深く観察し、追求することを自身の作家としての使命だと考えていたのだ。

しかし、締め切り前夜、書きかけの原稿を前に頭を抱えていた。原稿用紙は白いままだ。インクの染み一つない紙の束が、彼の才能の枯渇を嘲笑うかのようだ。コーヒーカップを握りしめた手が震える。もう何日も、まともに眠れていなかった。日中は頭痛に苛まれ、夜は焦燥感に焼かれ、ベッドの中で寝返りを繰り返すばかり。枕元には丸められた原稿用紙が散乱している。

最近の彼の周囲には、雀のさえずりすら事件にならないほどの平穏しか訪れていなかった。公園では子どもたちが笑い、スーパーのレジでは主婦たちが日常の愚痴をこぼす。どこを切り取っても、彼が渇望するような人間の醜い感情の蠢きも、運命を狂わせるような偶発的な悲劇の影も見当たらなかった。創作の泉は完全に枯れ果て、締め切りまでの時間は無情に過ぎ去っていく。このままでは、筆を進めることすらままならない状況だった。

彼は机上の犯罪心理学の本に目をやった。分厚い表紙の隅が擦り切れている。その隣には、彼が何年もかけて集めてきた、過去の未解決事件ファイルが積み重ねられていた。彼はその中の一冊を手に取り、無意識のうちにページをめくる。殺人事件、失踪、謎の自殺……。彼は、それらのファイルを読み漁り、犯行現場の写真を見つめても、どうしても核心に触れられないもどかしさを常に感じていた。表層的な動機や行動は理解できても、実際に凶行に及ぶ瞬間の、人間の奥底に渦巻く狂気や絶望、あるいは冷徹な計算といった感情は、ただ文字を追うだけでは掴みきれない。

「結局、俺は本当の犯人の気持ちがわかっていないんだ……だから、説得力のある犯人が書けない」

彼は吐き捨てるように呟いた。その声は、静まり返った部屋に虚しく響いた。自分の才能が枯渇したわけではない。足りないのは、他でもない、「本物」の感情なのだ。

その時、彼の脳裏に一つの考えがよぎった。それは、常識的な作家の思考からは逸脱した、危険な領域への誘いだった。まるで、脳の奥底から甘く囁きかけられるような、抗いがたい衝動だった。

彼は以前から、ミステリー小説において真実を描くためには、犯人の心情を真に理解し、その行動の根源を追体験するしかない、という奇妙な信念を抱いていた。模倣することでしか得られない、生々しい感情や思考の動き、そして行動に伴う葛藤や興奮を掴み取りたい。そうすれば、血の通った、真に迫る犯人像を描けるはずだ。そして今、事件が皆無という状況が、その信念を現実にする強烈な後押しとなったのだ。

「事件が起きないなら、自分で起こせばいい――そうすれば、犯人の魂の奥底に触れられるのではないか?」

彼の目的は、単なる小説のネタ作りではない。それは、理解し難い人間の闇の領域へと、自らの身を投じることでしか得られない、深淵な洞察への純粋な渇望だった。彼は、ごく単純な「事件」を計画した。ささやかな盗難事件か、あるいは誰かの秘密を暴くような、些細な悪戯のはずだった。現実世界に波紋を起こすことなど、毛頭考えていなかった。

彼は、自身の「模倣」の舞台として、近所で**「幽霊屋敷」と呼ばれ、長年空き家となっている不気味な洋館**を選んだ。瓦が剥がれ落ち、漆喰が剥がれた壁は、まるで巨人の顔の傷跡のようだ。周囲の住民で、この屋敷に近づく者など誰もいない。夜には、「あの家からは女のすすり泣きが聞こえる」「窓に血のような染みが浮かび上がる」「特定の部屋だけ異常なほど冷たい」といった噂が、まことしやかに囁かれていた。黒木はそれらの噂を、ただの空き家が持つ不気味さからくるものだと考えていた。誰も近づかない場所なら、人目に触れずに計画を実行できると考えたのだ。また、人々の想像力を掻き立てるその「曰くつき」の雰囲気は、犯罪を犯す者の心理をより鮮明に描き出すのに最適だと感じていた。

第二章:床下の異変

深夜、時計の針が一時を回った頃。黒木は、懐中電灯と最低限の道具を手に、幽霊屋敷へと侵入した。錆びた門をくぐり、膝丈まで伸びた庭の雑草を掻き分け、軋む扉にそっと手をかける。長年閉ざされていた重い扉が、呻き声を上げて開いた瞬間、外の蒸し暑さとは異なる、底冷えするような空気が彼を包み込んだ。

屋敷の中は、家具に白い布がかけられ、まるで白い亡霊が立ち並んでいるようだ。時間は数十年前に止まったかのように静まり返っている。腐食した木の匂いと、埃が混じり合った独特の空気が、彼の肺を満たした。足元から軋む音がするたび、彼は犯人が感じるであろう緊張感、高揚感、そして背徳感を肌で感じ取ろうと集中する。鼓動が速くなる。この感覚だ。この生々しい感情こそが、彼が求めていたものだ。

一通り部屋を物色するふりをして、彼は目的の場所へと向かった。書斎だった部屋の奥、絨毯の下に隠された床板。彼の鋭い観察眼が、その僅かな違和感を見逃さなかった。**床板の一枚が、他の場所と比べて不自然に新しい。まるで、最近になって張り替えられたかのように。長年の経験と、真実を追求する本能が、そこにある「異変」**を告げていた。

好奇心に駆られ、彼は持参したバールを隙間に差し込む。軋む音を立てながら、ようやく板が浮き上がった。その隙間から、**ひやりとする異常なまでの冷気と、古びたカビのような独特の湿った匂いが漂ってきた。**その冷気は、まるで生きた者の体温を吸い取るかのように、彼の全身を包み込む。背筋に冷たいものが走った。それは、単なる湿気の匂いではない。深く、重く、澱んだ空気が、その場所から流れ出ているかのようだ。彼は息を止め、震える手で板を完全にこじ開ける。

懐中電灯の光が、暗い床下を照らし出す。そこには、予想もしなかった光景が広がっていた。土が不自然に盛り上がっており、その中に、古びたトランクが埋められているのが見えた。トランクの表面には、乾いた泥のようなものがこびりつき、まるで長い間、土の中に隠されていたかのような陰鬱な気配を放っていた。それは、ただ忘れ去られた物品というよりも、何かを**「封じ込める」ために埋められたかのような、禍々しい存在感**を放っていた。

黒木は、そのトランクを引っ張り出した。ずしりと重い。彼は躊躇しながらも、錆びついた留め金を外す。ギィィ……と、耳障りな音が屋敷に響き渡る。中には、色褪せた子ども服、古い日記帳、そして数枚の写真がぎっしりと詰め込まれていた。それらは、一般的な盗難品とは明らかに異質で、まるで誰かが必死に隠蔽しようとした痕跡のように感じられた。黒木は、そのトランクの底に、まだ何か別のものが隠されているのではないかという、拭きれない悪寒に襲われた。この**「異変」こそが、彼の真実への探求を本格的に始動させる引き金となる。彼はこの時、自分が“模倣”という名の遊びから、取り返しのつかない「本物」の世界**へと足を踏み入れてしまったことを、まだ知る由もなかった。

第三章:日記の告発

黒木は、トランクから取り出した日記帳を、自宅に戻ってから改めて広げた。表紙は色褪せ、ページは湿気で波打っている。慎重に開くと、細い、しかし力強い筆跡でびっしりと文字が埋められていた。書き手は、屋敷の元住人である佐伯宗一郎。日付は数十年前で途絶えている。

宗一郎の日記は、最初は屋敷での日常や家族の様子を綴る、ごく普通の記録だった。しかし、ある時期を境に、その内容はにわかに不穏なものへと変わっていく。「奇妙な出来事」「不可解な兆候」「何かがおかしい」。宗一郎は、屋敷で立て続けに起きていた**「連続不審死事件」や、それに伴う「奇妙な財産トラブル」、そして突如として「失踪した使用人の謎」**について、強い不審を抱き、独自の調査を始めていたのだ。

黒木は、宗一郎が記した個々の事件を読み進めるにつれて、背筋が冷たくなるのを感じた。それらは、世間ではそれぞれ独立した事故や病死、あるいは単なる駆け落ちとして処理されていたものばかりだった。だが、宗一郎の目には、それらが**「全て同じ手口で、特定のパターンを持って発生している」**ように映っていたのだ。

「まるで、誰かが意図的に、完璧な舞台装置を用意して、これらの事件を引き起こしたかのようだ」

宗一郎の日記には、そうした推論と、彼が屋敷の中に潜む**「誰か」を強く疑っていたことが読み取れた。その「誰か」は、家族の一員か、あるいは頻繁に出入りしていた親しい関係者かもしれない。宗一郎は、探偵のように観察を続け、その人物の行動パターン、事件発生時のアリバイ、そして各事件が財産や権力の流れにどう影響したかを詳細に記録していた。それは、まさに真実を追求する者の執念**であり、黒木は宗一郎が自分と同じように、真実を追い求めていた探求者であることに、奇妙な共感を覚えた。

日記の数ページに一枚挟まれていた写真も、宗一郎の疑念を裏付けるように、不自然なものが多かった。家族の集合写真に写る一人の人物だけが、どこか不自然な笑顔を浮かべていたり、本来写るはずのない場所に人影が映り込んでいたりする。特に、一枚の写真に写るその人物の表情に、黒木は言いようのない不穏さを感じた。それは、仮面を被ったかのような、冷たい笑顔だった。

日記を読み進めるうちに、黒木はさらなる違和感を覚える。宗一郎が調査していた「幽霊屋敷の事件」における犯行の手口や、証拠が残されるはずのない場所に痕跡を残す方法、ターゲットの選定方法が、なぜか自分が“模倣”した侵入の手口と、奇妙なほど似ていたのだ。

「馬鹿な……」

彼は思わず呟いた。自分の“模倣”した行為は、完全に彼の創作物であり、過去の事件資料を分析し尽くして作り上げた「完璧な犯行」のはずだった。彼が過去の犯罪心理学の本から無意識に吸収していた、犯罪者の思考の断片。それが、宗一郎の日記に記された「犯人像」と、驚くほど合致してしまったのだ。自分が、宗一郎が書き残した「犯人像」に、無意識のうちに**「寄り添いすぎてしまった」**かのように思えてくる。

その時、テーブルの上に広げた新聞が目に入った。それは、数日前の夕刊で、大きく一面を飾っていた記事だ。

「連続通り魔事件、新たな被害者か――手口に酷似点」

記事には、近隣で発生している連続通り魔事件の概要が書かれていた。そして、その犯人像と手口の特徴が、宗一郎の日記が描く過去の事件の犯人像、そして黒木自身が模倣した行動パターンと、驚くほど酷似していることに、黒木は戦慄した。

彼の**「真実を追求する」本能**が、過去の幽霊屋敷の事件と、現在の通り魔事件との間に、見えない糸があることを強く直感させた。同時に、冷たい汗が背中を伝う。まさか、自分の模倣行為が、この連続通り魔事件の犯人を刺激し、再び動き出すきっかけを作ってしまったのではないか? 彼は、自分が想像していたよりもはるかに深い闇に足を踏み入れてしまったことを悟った。

第四章:見えない脅威

黒木は、日記と写真、そして新聞記事を前に、深く息を吐いた。彼の心は、作家としての好奇心と、危険な真実に触れてしまった恐怖の間で揺れ動いていた。しかし、彼は立ち止まることができなかった。真実を求めるという彼の本質が、未知の恐怖よりも強く彼を突き動かすのだ。

翌日から、黒木の生活は一変した。彼は日中、図書館のアーカイブに通い詰めた。数十年前の地方紙をめくり、宗一郎の日記に記された日付の事件記事を探し出す。古い新聞は紙が黄ばみ、インクは薄れているが、宗一郎の記述と符合する記事が次々と見つかった。しかし、どの事件も警察の捜査は行き詰まり、最終的には事故や自殺、あるいは失踪として処理されていた。

「なぜ、もっと深く調べなかったんだ……」

黒木は新聞の活字を睨んだ。宗一郎の観察眼と推理は、当時の警察をはるかに凌駕していた。彼が日記に残した手がかりは、単なる記録ではなく、真犯人への告発なのだと、黒木は確信した。

同時に、彼の身に異変が起き始めた。 夜、自宅の書斎で資料を広げていると、窓の外から微かな視線を感じるようになった。最初は気のせいかと思ったが、それが何度か続いた。ある夜は、物音に気づいてカーテンを開けると、街灯のわずかな光の中に、人影のようなものが消えていくのが見えた。

「まさか……」

黒木は緊張感を覚えた。自分の模倣行為が、本当に誰かを刺激したのか? それとも、幽霊屋敷の秘密を暴こうとしていることに、何者かが気づいたのか? 彼の背筋に、再び冷たい汗が流れた。

日中の調査中も、不審な出来事が続くようになった。 図書館から出てきたところを、つけているかのような車を目撃した。立ち寄ったカフェでは、見知らぬ男が、妙にじっと自分を見ている気がした。彼の神経は研ぎ澄まされ、街を行く人々の顔も、ただの通行人には見えなくなった。

「まさか、これが犯人の心情というものか」

自分が狙われていると感じることで、彼は得体の知れない恐怖と、同時に奇妙な高揚感を味わっていた。これこそが、彼が求めていた**「本物」の感情**なのだろうか。しかし、この感情は、想像していたよりもはるかに重く、彼の心を蝕んでいく。

そんな日々の中、黒木は偶然か必然か、協力者と出会うことになる。 それは、宗一郎の日記に記されていた、幽霊屋敷で発生した「奇妙な財産トラブル」の被害者の遠い親戚を追っている時だった。彼が訪れた古びた喫茶店で、一人の初老の男性に声をかけられた。

「佐伯家の事件を調べているのかね?」

その男性は、元刑事だと名乗った。名前は田中(たなか)。彼は数十年前のその事件を担当していたが、上層部によって捜査を打ち切られたことに、ずっと納得がいっていなかったという。

「あの事件は、何かおかしいと直感していたんだ。だが、当時の私には、何もできなかった」田中はそう言って、深くため息をついた。「君が持ってきたものは、すべてあの事件のパズルのピースだ。まさか、こんな形で真実が浮かび上がるとはな」

黒木は、半信半疑ながらも、彼に床下で見つけた日記帳と写真のことを話した。田中の目は、話を聞くうちに鋭さを増していく。

「やはりな……! 私の長年の勘は間違っていなかった」田中は拳を握りしめた。「君が持ってきたものは、すべてあの事件のパズルのピースだ。まさか、こんな形で真実が浮かび上がるとはな」

田中は、黒木の危険な探求心にも気づいていた。彼は目を細め、忠告するように言った。 「しかし、君のやっていることは危険だ。当時の事件には、決して表沙汰にできないような闇があった。君がそこに深入りすれば、命に関わることになりかねない」田中は真剣な眼差しで黒木を見た。「真実を求めるのは作家として当然だろうが、度が過ぎれば、取り返しのつかないことになる」

しかし、黒木は首を振った。彼の瞳には、決意の光が宿っていた。 「引き返すわけにはいかないんです。僕は、真実がどこにあるのか知りたい。それに、僕の行動が、もし今の事件に繋がっているとしたら……」

田中は、黒木の強い意志を感じ取り、諦めたようにため息をついた。彼の目に、過去の自分の姿が重なったのかもしれない。 「分かった。私もできる限りの協力をしよう。だが、君は常に警戒を怠るな。相手は、数十年前の事件を闇に葬った、冷徹な人間だ」

黒木は、新たな手がかりと、強力な協力者を得たことに安堵した。しかし、同時に彼の心には、これまで以上に大きな重圧がのしかかった。彼の模倣行為が、本当に真犯人を刺激してしまったのかもしれない。そうだとすれば、彼は真実を解き明かすだけでなく、自らの手で引き起こしたかもしれない連鎖を止めなければならないのだ。彼の探求は、もはや私的な好奇心から、逃れられない使命へと変わりつつあった。

第五章:繋がる点と点

黒木と田中元刑事の共同調査は、それまでの黒木一人の調査とは比べ物にならない速度で進んだ。田中の持つ警察内部の非公開情報や、長年の経験から培われた人脈は、黒木が独力では決して知り得なかった事実を次々と引き出した。

宗一郎の日記に記された**「連続不審死事件」**。それぞれの被害者には、表面上は接点がないように見えた。しかし、田中が持ち出した当時の捜査資料と照合すると、奇妙な共通点が浮かび上がった。彼らは皆、佐伯家と何らかの形で関わりがあったのだ。宗一郎の妻の遠縁の親戚、屋敷に出入りしていた庭師、あるいは宗一郎が投資していた会社の共同経営者。そして、どの死も、事故や病死として片付けられていたにもかかわらず、その死亡時に、佐伯家の財産が別の親族へと流れ込んでいたという事実が明らかになった。

「これは偶然じゃない。すべてが繋がっている」田中が唸るように言った。「当時の捜査は、上からの圧力がかかったかのように、不自然なほど早く打ち切られた。私が疑念を抱いたのはそのためだ」

黒木は、宗一郎の日記と捜査資料を睨みつけた。日記に書かれた宗一郎の疑念は、すべて正確だった。宗一郎は、家族内部に潜む悪意に気づき、それを記録し、告発しようとしていたのだ。

そして、最も戦慄すべき事実は、床下から見つかった子ども服の主、つまり行方不明となっていた**「子ども」**の存在だった。宗一郎の日記には、その子が「失踪」した日以降、屋敷の雰囲気が一変したと記されていた。田中が過去の資料を漁ると、その子の失踪届は出されていたものの、保護者である宗一郎からの訴えが曖昧で、かつ捜索もすぐに打ち切られていたことが判明する。

「この子どもの失踪が、すべての始まりかもしれん」田中が推測した。この子が、杉山隆の財産乗っ取り計画における、最も邪魔な存在だったのだ。杉山が佐伯家の財産を完全に手中に収めるためには、この幼い生命が障害となっていた。

黒木は、現代の連続通り魔事件の新聞記事と、宗一郎の日記を交互に見比べた。 「この通り魔の手口……。被害者の持ち物を一部だけ奪い、あとは無造作に放置する。そして、必ず被害者の体に不可解な傷を残す。これが、宗一郎が日記に記した『特定のパターン』と酷似しているんです」

それは、単なる偶然ではなかった。黒木の模倣した侵入の手口、過去の幽霊屋敷の事件、そして現代の通り魔事件。それぞれの点が、まるで巨大なパズルのピースのように、一つ、また一つと繋がり始めた。

「つまり、宗一郎が疑っていた真犯人が、まだ生きているということですか?」黒木は息を呑んだ。

田中の表情が険しくなる。「そして、君の模倣が、奴を刺激した可能性もある」

その言葉は、黒木の心を深く抉った。彼の探求が、新たな悲劇の引き金になっていたかもしれない。しかし、後戻りはできない。真実を知ることこそが、彼に課された使命なのだ。彼は、自分が引き起こしたかもしれない連鎖を、自らの手で止めなければならないという強い使命感に駆られていた。

調査は危険を増していく。二人が宗一郎の日記から浮かび上がった容疑者、つまり宗一郎が最も怪しんでいた**「屋敷の中の誰か」**に近づくにつれて、見えないプレッシャーが強まった。黒木の自宅には無言電話がかかるようになり、田中の元には意味不明な脅迫状が送りつけられた。二人は、確実に真犯人の領域へと足を踏み入れていることを実感した。

「奴は、自分が追い詰められていることを察している。だからこそ、焦って動き出している」田中は冷静に分析した。「だが、それが奴の弱点になる」

黒木は、真犯人の心理を想像した。過去の犯罪を完璧に隠蔽し、数十年の時を経て、まさかこんな形で真実が暴かれるとは夢にも思わなかっただろう。彼が再び動き出したのは、秘密が露呈することへの恐怖と、完璧な自分の計画が狂わされることへの苛立ちからか。それは、黒木が犯人の心情を理解するために模倣した、あの背徳的な高揚感の裏側にある、切迫した焦燥感なのかもしれない。

第六章:暴かれた魂

黒木と田中は、宗一郎の日記に記された人物たち、そして現在の通り魔事件の被害者たちの関係性を徹底的に洗い出した。そして、ついに一人の人物へとたどり着いた。

佐伯家の遠縁の親族であり、かつては宗一郎の屋敷に頻繁に出入りしていた男――杉山 隆(すぎやま たかし)。彼は表向きは温厚な人物で、地域の有力者の一人として知られていた。しかし、彼の過去を深く掘り下げると、佐伯家の財産が動くたびに、彼に有利な状況が生まれていたことが判明した。そして、宗一郎の日記に記された**「屋敷の中の誰か」**の特徴が、驚くほど杉山隆に合致していたのだ。

黒木と田中は、杉山隆が、過去の不審死事件の裏で暗躍していた真犯人であり、そして現在の連続通り魔事件も、彼の犯行であるという確証を掴んだ。彼の動機は、単純な財産欲ではなかった。それは、佐伯家という古い一族の持つ「名誉」と「権力」への、歪んだ執着だった。彼は、一族の古いしきたりや、宗一郎の権威が邪魔になり、それを排除することで、自らがその「名誉」と「権力」の中心に座ろうとしていたのだ。

しかし、なぜ、数十年の時を経て、再び通り魔事件を起こしたのか? その答えは、黒木の模倣行為にあった。

黒木と田中は、決定的な証拠を突きつけるため、杉山隆を呼び出した。場所は、かつて宗一郎が暮らし、彼が秘密を葬った幽霊屋敷。黒木は、杉山を前にして、自身の模倣行為が、いかに彼の過去の犯行と酷似していたかを語った。

「あなたは、あの屋敷で、宗一郎さんが気づいていた『手口』を、完璧に使いこなしていた。そして、僕がその手口を模倣した時、あなたは、自分が再び狙われていると錯覚した。まるで、数十年前の宗一郎さんの**『告発』**が、時を超えて蘇ったかのように……」

杉山隆の表情が、一瞬にして凍りついた。彼の顔から血の気が失せ、長年隠し続けてきた悪意と狂気が、その目に浮かび上がった。

「そうか……お前が、あの**『手口』**を真似て、私の秘密を探っていたのか」杉山は震える声で言った。「宗一郎め……あの男は、死んでからも私を苦しめるつもりか!」

杉山は、宗一郎が日記で自分の犯行を記録していたことを知っていたのだ。彼は、宗一郎がどこかにその日記を隠していることを薄々感じていたが、まさか床下に埋められているとは思いもしなかった。そして、黒木がその日記を発見し、自身の模倣によってその犯行手口を“再現”した時、杉山は宗一郎の亡霊が自分を告発しにきたとでも思ったのだろう。彼の完璧な隠蔽が、今、作家の好奇心によって白日の下に晒されようとしていた。

「あの屋敷の噂、『女のすすり泣きが聞こえる』……それは、あなたが幼い親族を殺害した際、その子が最後に上げた声が、屋敷の記憶に刻まれたものだったのですね?」「**『窓に血のような染みが浮かび上がる』というのは、あなたの犯行を暗示していたのかもしれない。そして、『特定の部屋だけ異常なほど冷たい』という噂は、まさに床下に遺体を隠すためにあなたが施した『特殊な仕掛け』から発せられる冷気だった!」黒木は畳みかけた。「床下にあった『不自然な冷気と湿った匂い』は、あなたが過去に屋敷で殺人を犯し、そこに遺体を隠していた痕跡だった。宗一郎さんの日記は、実はその犯行を、隠された日記の中で告発しようとしていた、宗一郎さんの『最後の作品』**だったのだ……」

黒木の言葉が、杉山を追い詰めた。宗一郎が日記に記した**「屋敷の中の誰か」**とは、他でもない、杉山隆自身だったのだ。そして、床下の子ども服は、杉山が邪魔だと判断して殺害し、埋めた幼い親族のものであった。

追い詰められた杉山は、ついに隠していた凶器を取り出し、黒木に襲いかかった。彼の目は狂気に染まり、その中に黒木は、彼が求めていた「犯人の心情」の最も深い部分を見た。それは、恐怖と焦燥、そして何よりも、自分を完璧だと信じる人間の、歪んだ自尊心だった。しかし、黒木は怯まなかった。彼の探求は、この瞬間のためにあったのだ。

田中が、すかさず杉山を取り押さえた。駆けつけた警察によって、杉山は逮捕される。数十年にわたる幽霊屋敷の謎と、現代の通り魔事件は、ついに解決を迎えた。

第七章:作家の使命のその先へ

事件解決の報は、瞬く間に世間を駆け巡った。誰もが「幽霊屋敷の呪い」だと信じていた事件が、実は冷酷な殺人事件であったこと、そしてその犯行が、現代の通り魔事件へと繋がっていたことに、人々は震撼した。そして、この真相を暴いたのが、一人のミステリー小説家・黒木蓮であることに、世間は驚きと称賛の声を上げた。

黒木は、自らが体験し、解き明かした真の事件を題材に、渾身のミステリー小説を書き上げた。それは、彼が当初目的とした「犯人の心情理解」を遥かに超えるものだった。彼の作品には、模倣では決して得られなかった**「本物」の感情、真実の重み、そして人間の深奥に潜む狂気と悲哀**が、血の通った筆致で描かれていた。彼の探求は、単なる知識欲を満たす行為ではなく、人間の存在そのものに内在する闇と光、そしてそれらを直視する勇気へと彼を導いたのだ。

作家としての彼は、大きく変貌を遂げていた。単に事件を「模倣」した一作家から、真実と向き合い、それを世に問う使命を帯びた、新たなミステリー作家へと昇華していたのだ。彼の心には、あの幽霊屋敷の床下で感じた冷気のように、真実の冷たさと、それに触れた者の重みが刻み込まれていた。それは、人生という複雑なパズルを解き明かすための、新たな視点を彼に与えていた。

しかし、事件を解き明かした安堵と達成感の裏で、彼はふと考える。 自らの危険な**「模倣」**が、本当に必要だったのか? あの時、自分が幽霊屋敷に侵入していなければ、杉山隆はそのまま捕まることなく、さらに犯罪を繰り返していたかもしれない。しかし、同時に、彼の模倣が杉山を刺激し、新たな犠牲者を生み出すきっかけを作ってしまった可能性も否定できない。

彼の顔には、微かな影が差した。真実を求めることは、時に、想像もしない代償を伴う。だが、それでも彼は、真実を追求することをやめることはできないだろう。彼にとって、真実を追求することこそが、生きる意味そのものなのだから。

窓の外に目をやると、夜空には満月が輝いていた。その光は、彼の心に刻まれた闇の深さを照らし出すかのように、静かに、そして鋭く、彼を見つめていた。次に何を書くべきなのか? 彼の作家としての探求は、まだ終わらない。むしろ、彼の本当の旅は、ここから始まるのだ。

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