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『登場人物、全員嘘つき』

信じるな。こいつらの涙も、笑顔も、悲鳴さえも。


あらすじ

「十年前の、あの夜の真実を話します」

十年前に謎の失踪を遂げた仲間・ユキから届いた一通の手紙。それをきっかけに、かつて大学の天文サークルで青春を共にした男女七人が、思い出の山荘での同窓会に集まった。

SNSでは輝かしい人生を演じる彼らだったが、その誰もが、決して他人には明かせない「嘘」と「秘密」を胸に隠していた。

和やかな再会を装う彼らを、容赦ない嵐が襲い、山荘は外界から完全に孤立する。閉じ込められた空間で蘇る十年前の記憶。そして、まるで悪夢をなぞるかのように、参加者の一人が崖の下で死体となって発見された。

これは事故か、それとも殺人か。

過去の失踪事件と、現在の不可解な死。二つの謎が絡み合う中、彼らは互いの嘘を暴き、罪をなすりつけ合う、醜い生存競争を始める。

この中に嘘つきがいる。そして――この中に、殺人鬼がいる。

登場人物紹介

  • 黒田 和也(くろだ かずや) / 主人公 平凡な会社員。十年前の事件に、誰にも言えない形で関わっている。罪悪感と保身の間で揺れ動きながら、この悪夢の真相に挑むことになる。
  • 白石 莉乃(しらいし りの) 失踪したユキの親友。SNSでは恋人・航との幸せな日々を綴る。しかしその笑顔の裏には、十年経っても消えない歪んだ執着が隠されている。
  • 赤坂 俊介(あかさか しゅんすけ) IT企業の社長。SNSで富と成功を誇示する傲慢な男。過去をキャリアの汚点としており、真実が暴かれることを何よりも恐れている。
  • 青柳 翔太(あおやぎ しょうた) 自由人を気取るフリーター。複数の借金を抱え、今回の同窓会である「一発逆転」を狙っているようだが、彼の存在が第二の悲劇の引き金となる。
  • 緑川 美咲(みどりかわ みさき) SNSでは完璧な母親を演じている専業主婦。現在の生活に満たされず、美しい過去の思い出に異常なほど依存している。
  • 山吹 航(やまぶき わたる) 失踪したユキの元恋人。穏やかで誠実な高校教師。皆のまとめ役として振る舞うが、その瞳の奥には深い苦悩と狂気の色が浮かぶ。
  • 相沢 ユキ(あいざわ ゆき) 物語の全ての鍵を握る、十年前に失踪した少女。

序章:嘘の展覧会

スマートフォンの冷たい光が、部屋の暗がりに俺の顔をぼんやりと浮かび上がらせる。 窓の外には、煌びやかな東京の夜景。無数の光が、まるで宝石箱をひっくり返したように瞬いている。 その一つ一つに、それぞれの人生と、それぞれの嘘があるのだろう。

コーヒーはとっくに冷めていた。 明日、俺は十年ぶりに「あの場所」へ行く。 十年ぶりに、「あの仲間たち」と顔を合わせる。同窓会、という名目で。

指が勝手に、昔の仲間たちの名前を検索していく。 画面に表示されるのは、完璧に演出された幸福の数々。 まるで、俺たちだけの嘘の展覧会だ。

最初に表示されたのは、赤坂俊介。 タワーマンションの最上階から見下ろした夜景。腕にはこれみよがしに高級腕時計。仲間たちとシャンパンタワーを囲む写真。 #成功 #感謝 #仲間 。ハッシュタグまでが、自信と傲慢さで満ち溢れている。 俺は、十年前に見た彼の、恐怖と保身で引き攣った顔を思い出していた。

次に、緑川美咲。旧姓、木村。 彩り豊かなキャラクター弁当。週末の家族旅行。手料理が並ぶテーブル。 #丁寧な暮らし #おうちごはん #家族大好き。幸せな母親という仮面は、完璧だった。 俺は、十年前に聞いた彼女の、すべてを呪うかのようなヒステリックな泣き声を思い出していた。

白石莉乃のページは、アーティスティックな写真で埋め尽くされていた。 美しい花々。意味深なポエム。そして、今の恋人である山吹航との、仲睦まじい影の写真。 #愛 #運命 #光と影 。彼女の投稿は、いつだって感傷的で美しい。 俺は、十年前に見た彼女の、嫉妬と憎悪に歪んだ素顔を思い出していた。

青柳翔太は、自由な旅人という自分を演出していた。 誰も知らないような海外の安宿。現地の人々と笑い合う姿。 #ノマド #自由な人生 #世界は広い 。だが、投稿の合間に見える金の無心DMの噂を、俺は知っている。

全員が、見事なまでに「幸せ」を演じきっている。 十年という月日は、嘘をつく技術を巧みに上達させたらしい。 そして、その嘘を肯定し合うための「いいね」を、俺たちは互いに送り合っていた。

俺はアプリを閉じ、テーブルの上に置かれた一通の封筒に目をやった。 一ヶ月前、俺たちのもとに届いた、この悪夢の招待状。

『十年ぶりに、皆に会って話したいことがあります。 あの夜の真実を話します。――相沢ユキ』

差出人の名前を見て、俺は失笑した。 相沢ユキ。十年前に失踪したとされる、俺たちの仲間。 死んだ人間から、手紙が届くはずがない。

この同窓会を企画したのは、幹事の山吹航だ。ユキの元恋人で、今は莉乃と付き合っている男。 「ユキのご家族から、遺品を整理していたら出てきたと預かったんだ」 電話の向こうで、航はそう言った。誠実で、悲しみの滲む声だった。 それもまた、嘘なのだろうか。

行かなければならない。 行かなくては、終わらない。

俺は立ち上がり、窓の外の嘘で塗り固められた夜景を見下ろした。 明日の再会で、俺たちは互いの仮面を剥がし合うことになる。

十年分の嘘が、一夜で暴かれる。 友情も、愛情も、そして命さえも。

俺は、あの日の嘘にケリをつけるために。 そして、俺が隠し持っている最後の「真実」を確かめるために、あの山荘へ向かう。 たとえ、それが新たな惨劇の始まりだとしても。

第一幕:偽りの仮面劇

錆びついた鉄のゲートを抜けると、木々の間から見慣れた山荘の姿が現れた。 十年という歳月は、思い出の建物を容赦なく蝕んでいる。壁の塗装は剥がれ、窓枠には蔦が絡みついていた。 まるで、俺たちの罪を隠すかのように。

駐車場には既に数台の車が停まっていた。一番派手な外車は、言うまでもなく赤坂俊介のものだろう。 車を降りると、湿った土と葉の匂いが鼻をついた。空は厚い雲に覆われ、今にも泣き出しそうだ。

「よぉ、黒田。十年ぶりか?」

玄関のドアを開けると、ソファにふんぞり返った俊介が、グラスを片手に言った。 SNSで見た通りの、高級ブランドで固めた姿。だが、その目には学生時代のままの、他人を見下す光が宿っていた。

キッチンでは、緑川美咲がエプロン姿で料理をしていた。 「和也くん、久しぶり! 疲れてる? なんだか顔色悪いわよ」 SNSのキラキラした笑顔とは違う、無理に貼り付けたような笑み。目の下には、隠しきれない隈が浮かんでいた。

やがて、全員が揃った。 お調子者の青柳翔太。最後にやってきたのは、白石莉乃と、幹事の山吹航だ。 「ごめん、遅くなった。道が混んでて」 航は申し訳なさそうに言ったが、隣に立つ莉乃は何も言わず、ただ静かに俺たちを見回していた。二人の間には、SNSでは決して見ることのできない、冷たい溝が広がっているように見えた。

「じゃあ、再会を祝して!」 俊介の音頭で、俺たちはグラスを合わせた。 カチン、と乾いた音が響く。誰も、失踪したユキの名前を口にはしなかった。

思い出話に花が咲く。だが、そのどれもが当たり障りのない、薄っぺらなものばかりだ。 全員が、慎重に言葉を選んでいる。互いの嘘を探り合いながら、自分の嘘は見抜かれまいと必死になっている。

約束の時間は、とっくに過ぎていた。 もちろん、相沢ユキが現れる気配はない。

その時だった。窓の外が、一瞬、白く光った。 数秒遅れて、腹の底に響くような雷鳴が轟く。それを合図にしたかのように、ガラス窓を叩きつける激しい雨が始まった。

「うわ、マジかよ……」 翔太がスマートフォンの画面を見せる。電波を示すアンテナは、一本も立っていない。 テレビも、砂嵐を映すだけだ。

「さっき、役場から連絡があって」 航が、妙に落ち着いた声で言った。 「この先の橋、大雨で通行止めになったらしい。今夜は、ここに泊まるしかなさそうだ」

一瞬の沈黙。 その言葉が、俺たちを外界から切り離す、宣告のように響いた。 誰もが、無言で互いの顔色を窺う。

次の瞬間、バチン、という音と共に、山荘の全ての明かりが消えた。 「停電……?」 莉乃の怯えた声が、暗闇に響く。

航が手慣れた様子で、棚から取り出したランタンに火を灯した。 揺らめく炎が、俺たちの不安げな顔を照らし出す。

その、静寂の中で。 どこからか、微かな音が聞こえてきた。

チリ……ン。チリン……。 それは、澄んでいて、どこか悲しいメロディ。 金属の櫛が歯を弾くような、オルゴールの音色だ。

全員が、息を呑んだ。 忘れるはずがない。あれは、ユキがいつも大切にしていたオルゴール。 彼女が好きだった、星にまつわる古い歌。

音は、二階から聞こえてくる。 十年前、俺たちがユキの部屋として使っていた、あの部屋から。

ランタンの炎が揺れ、俺たちの顔に濃い影を落とす。 俊介の顔からは自信が消え、莉乃は恐怖に顔を引き攣らせ、美咲は小さく肩を震わせている。 航だけが、何もかもを見通すような、静かな目で暗闇を見つめていた。

「誰か……」 翔太が、かすれた声で言った。 「誰か、二階に行ったのか……?」

答えられる者はいなかった。 俺たちはただ、互いの顔を見合わせる。 その瞳に浮かぶのは、十年ぶりに再会した仲間への信頼ではなく、どす黒い疑心暗鬼の色だった。

嘘つきたちの仮面が、一枚、剥がれ落ちた音がした。

第二幕:殺意の連鎖

「……行くぞ」

沈黙を破ったのは、虚勢を張った俊介の声だった。 「くだらない悪戯だ。誰か知らねえが、ぶん殴ってやる」 彼はランタンの一つを掴むと、軋む階段へ向かった。その背中は、明らかに強がっていた。

俺と航、そして翔太が続く。莉乃と美咲は、怯えた様子で俺たちの後ろにぴったりとくっついてきた。 一歩、階段を上るごとに、オルゴールの音色は鮮明になる。 まるで、俺たちを過去へと誘う、死者の手招きのように。

二階の廊下の突き当たり。ユキが使っていた部屋のドアが、数センチだけ開いている。 隙間から漏れるメロディが、俺たちの歩みを止めさせた。

「……開けるぞ」 俊介はそう言うと、ためらいを振り払うように、力任せにドアを蹴り開けた。

部屋の中は、奇妙なほど整然としていた。 十年分の埃を被ってはいるが、家具の配置はあの日のまま。 そして、部屋の中央、ベッドの上に、ポツンとアンティークのオルゴールが置かれていた。 ゼンマイが切れるまで、悲しいメロディを奏で続ける、銀色の箱。 部屋には、誰もいなかった。

航が静かに部屋に入り、オルゴールのゼンマイを止めた。 世界から音が消え、代わりに耳鳴りがするほどの静寂が訪れる。

「……なんだよ、これ」 最初に口を開いたのは翔太だった。 「誰かが持ち込んだんだろ! 俺たち以外に誰がいるってんだよ!」

「お前じゃないのか、翔太」 俊介が、氷のように冷たい声で言った。 彼の疑いの目は、まっすぐに翔太を射抜いている。 「皆をここに集めるために、ユキの手紙を偽造したのもお前だろう。金に困ってるもんな?」

「なっ……! ふざけんじゃねえよ!」 翔太の顔が怒りに歪む。 「あんたこそ、一番過去を隠したいクチじゃねえか!」

醜い言い争いが始まった。 恐怖は、いとも簡単に人間の理性を剥ぎ取り、本性を曝け出す。 莉乃と美咲は隅で泣き始め、この世の終わりのような光景だった。

俺は、罵り合う二人を冷ややかに見つめながら、一人だけ冷静な男に視線を向けた。 「航」 俺の声に、航はゆっくりと振り向いた。 「お前、落ち着きすぎじゃないか?」

航は、心底悲しそうな顔で眉を寄せた。 「和也……こんな時に仲間割れはよそう。きっと、何かの間違いだ。俺たちの知らない誰かが、近くにいるのかもしれない」 完璧な善人のセリフだった。その完璧さが、俺の胸に底知れぬ疑念を植え付けた。

その夜、俺たちは誰も眠れなかった。 リビングのソファで、互いを牽制するように距離をとり、嵐の音を聞きながら夜が明けるのを待った。 十年前のあの夜も、こうして全員で嘘を塗り固めるための会議をした。 歴史は繰り返す。ただし、今度はもっと、残酷な形で。

朝になり、嘘のように嵐は勢いを弱めていた。 疲労と不信感が澱のように溜まる中、新たな火種が燻り始めた。

「俊介さん。昨日の話ですけど」 翔太が、憔-悴しきった顔で俊介に詰め寄っていた。 「俺だって、もう待てないんすよ。約束の金……」

「ここでその話をするな!」 俊介が、声を荒らげて翔太を突き飛ばした。 二人の間に、深刻な金銭トラブルがあることは、誰の目にも明らかだった。

その時だ。 リビングの隅から、美咲の短い悲鳴が上がった。 彼女が指さす先には、翔太のボストンバッグ。そのジッパーが僅かに開き、中から何かが見えていた。

星の形をした、小さなペンダント。 銀色のチェーンが、朝の薄明かりを鈍く反射している。 それは、十年前のあの日、ユキがなくしたと騒いでいた、彼女の宝物だった。

「なんで……」 莉乃が、震える声で呟く。 「なんで、翔太くんが、ユキのペンダントを……?」

全員の視線が、翔太に突き刺さる。 彼は血の気を失った顔で、自分のバッグと俺たちを交互に見た。 そして、壊れたレコードのように、同じ言葉を繰り返した。

「違う……俺じゃねえ……ハメられたんだ……!」

第二の揺さぶり。 仕掛け人の巧妙な罠が、翔太という最初のターゲットを、ゆっくりと崖っぷちへと追い詰めていく。 俺は、ただ静かに、その残酷な劇の進行を見つめていた。

絶望的な沈黙が、リビングを支配していた。 誰もが、翔太と、彼のかばんから覗く星のペンダントを交互に見ている。 疑いは、もはや揺るぎない確信へと変わっていた。

「お前だったんだな、翔太」 最初に口を開いたのは、検事のように冷酷な声色をした俊介だった。 「十年前にユキを殺して、ペンダントを奪った。そして今度は、ユキの手紙を偽造して俺たちを呼び寄せ、何のつもりだ?」

「ちがう、俺じゃねえ!」 翔太は子供のように首を振り、その場にへたり込んだ。 「これは罠だ! 誰かが俺のバッグに……!」

だが、その言葉を信じる者は、もう誰もいなかった。 恐怖に支配された人間は、最も分かりやすい「犯人」を求める。 「最低……」「ユキを返してよ……」莉乃と美咲の非難の声が、ナイフのように翔太に突き刺さった。

止めなければ。 俺は、この異様な集団心理に危険を感じていた。 十年前のあの夜と同じだ。パニックが、俺たちから正常な判断力を奪っていく。

「やめろ、皆!」 俺は叫んだ。 「翔太がやったという証拠はどこにもない!」

「まだこいつを庇うのか、和也」 俊介が、吐き捨てるように言った。 「なら、証明させようじゃねえか。本人に」 彼は続ける。その目に、爬虫類のような冷たい光が宿っていた。 「あの崖に行こう。十年前、ユキが『消えた』場所に。そこに行けば、こいつも何か思い出すかもしれねえだろ?」

悪魔の提案だった。 嵐が弱まったとはいえ、外はまだ雨風が吹き荒れている。ぬかるんだ崖に近づくなど、正気の沙汰ではない。 「危険だ! やめるんだ、俊介!」

俺の制止は、しかし、二人の狂気に火をつけた。 「いいだろう、行ってやるよ!」 翔太が、ヤケクソになったように叫んだ。 「そこに行って、俺の無実を証明してやる! お前ら全員、後悔させてやるからな!」

翔太は、もつれる足で立ち上がると、玄関のドアを開けて嵐の中へ飛び出していった。 「おい、待て!」 俺たちは、後を追って山荘の外に出る。

冷たい雨が、容赦なく体を叩いた。 ぬかるんだ地面に足を取られながら、俺たちは崖へと続く細い道を必死に追いかける。 霧が立ち込め、数メートル先も見通せない。

先行するのは、翔太と、彼にぴったりと張り付く俊介の影。 俺たちの距離は、少しずつ離されていく。 「まずい……!」 嫌な予感が、心臓を鷲掴みにする。

霧の向こうで、二人の言い争う声が微かに聞こえる。 崖っぷちにたどり着いたのだろう。 俺が、ぬかるみに足を取られた莉乃の手を引いて、再び走り出した、その時だった。

「うわあああああああああっ!」

霧の奥から、鼓膜を突き破るような翔太の悲鳴が響き渡った。 俺たちが息を切らして崖っぷちに駆けつけた時、そこに翔太の姿はなかった。

俊介が、片膝をついて崖の下を覗き込んでいる。 彼はゆっくりと振り返ると、まるで悲劇の主人公のような顔で、震える声で言った。 「……ダメだ。あいつ、足を滑らせて……落ちた」

莉乃と美咲が、その場に崩れ落ちて泣き叫ぶ。 航は、絶望に顔を歪ませ、天を仰いだ。

事故だ。誰もがそう思うだろう。 この悪天候で、パニックになっていた翔太が、足を滑らせても何ら不思議はない。

だが、俺だけは見ていた。 俺たちが駆けつける直前、振り返った俊介の顔に一瞬だけ浮かんだ、歪んだ満足の笑みを。

事故? 本当に、そうなのか?

崖の下からは、風と雨の音に混じって、霧が渦を巻いているだけ。 翔太の姿は、どこにも見えなかった。 仲間の一人が、死んだ。その動かしがたい事実だけが、鉛のように重く、俺たちにのしかかる。

嘘が、また一つ増えた。 そしてこの山荘に、本物の殺人鬼が生まれた。 俺は確信していた。

第二幕終盤:絶望と覚醒

どれくらいの時間、そうしていただろうか。 俺たちは、まるで魂を抜かれた抜け殻のように、雨に濡れたまま山荘へと戻った。 翔太が座っていたソファだけが、ぽっかりと空いている。その空白が、俺たちの罪の重さを物語っているようだった。

誰も、口を開かない。 開けば、堰を切ったように、取り返しのつかない言葉が溢れ出してしまいそうだった。 窓の外では、あれほど荒れ狂っていた嵐が、嘘のように勢いを弱めていた。 まるで、一つの命を贄として喰らい、満足したかのように。

沈黙を破ったのは、美咲の嗚咽だった。 「どうして……どうしてこんなことに……」 彼女は、憎悪に満ちた目で俊介を睨みつけた。 「あなたが! あなたが崖に行こうなんて言わなければ、翔太くんは死なずに済んだのよ!」

「俺のせいだとでも言うのか?」 俊介は、冷たく言い放った。 「あいつが勝手にパニックになって、暴走しただけだろう。自業自得だ」

そのあまりにも冷酷な言葉に、俺は奥歯を強く噛み締めた。 莉乃は航の腕にすがりついて震えるばかりで、もはやこの場には、正常な人間関係など一片も残っていなかった。

違う。これは事故じゃない。 あの崖で、俊介は翔太を殺した。 そして、この地獄を作り出したのは――。

俺はゆっくりと立ち上がり、一人だけ窓の外を眺めていた男の背中に近づいた。 その肩は、小刻みに震えている。 「なあ、航」

俺の声に、航はビクリと体を強張らせた。 ゆっくりと振り返ったその顔は、憔悴しきっていた。これまでの冷静さは微塵もない。 彼の計画は、彼の想像を、とっくに超えてしまったのだ。

俺は、静かに、だが全員に聞こえるように言った。 「お前の計画通りに進んでいるのか? これも、お前が望んだ結T結末なのか?」

「……なにを、言って……」 航の声が、かすかに震える。 図星だった。彼の瞳が、罪悪感と恐怖で激しく揺れ動いている。 オルゴールも、ペンダントも、全てはこの男が仕組んだこと。

「和也、お前は何を言っている!」 鋭い声が、俺と航の間に割って入った。俊介だ。 彼は、俺を断罪するような目で睨みつけている。 「頭がおかしくなったのか。仲間が死んだんだぞ。今は皆で協力して、この状況を乗り越えるべきだろう」

協力。 その言葉を聞いた瞬間、俺の中で何かが切れた。 俺は、俊介をまっすぐに見つめ返した。

「協力、だと?」 俺の声は、自分でも驚くほど低く、冷たかった。 「十年前のあの夜みたいに、か? また全員で口裏を合わせて、嘘をついて、真実を闇に葬るのか?」

俊介の顔色が変わる。 俺の言葉が、彼が隠す罪――ユキの死の引き金となった横領の事実――に触れていることを、正確に理解したのだ。

「俺は、もうごめんだ」 俺は、全員に宣言した。 傍観者でいるのは、もう終わりだ。俺が、この嘘で塗り固められた地獄を終わらせる。

リビングの空気は、張り詰めた弦のように、今にも切れそうだった。 俊介は俺に殺意に近い敵意を剥き出しにし、航は俺の言葉に罪の意識を抉られ、その場に立ち尽くしている。 莉乃と美咲は、これから始まる新たな惨劇の予感に、ただ怯えることしかできない。

俺は、航に向き直った。 もう逃げも隠れもさせない。

「話してもらおうか、航」 「お前が俺たちをここに集めた、本当の理由を」

第三幕:嘘の崩壊

俺の言葉に、リビングの空気はガラスのように張り詰めた。 航は血の気の失せた顔で俺を見つめ、俊介は射殺さんばかりの目で俺を睨みつけている。 もう、後戻りはできない。

「航、お前の目的は何だ? なぜ、ユキの名前まで使って、俺たちを集めた?」 俺は、静かに、だが逃げ道のないように問い詰めた。

「和也、こいつの話を聞くな!」 俊介が叫ぶ。 「そいつこそが、翔太を殺した犯人かもしれねえんだぞ!」

だが、その言葉は誰の心にも響かなかった。 当の航が、力なくその場に崩れ落ちたからだ。

「……俺だ」 航は、両手で顔を覆い、嗚咽を漏らした。 「手紙も、オルゴールも、ペンダントも……全部、俺がやったことだ」

それは、あまりにもあっけない告白だった。 「十年だ」 航は、顔を覆ったまま続けた。 「この十年、俺は毎晩、崖から落ちていくユキの夢を見る。それなのに、教師になって、生徒たちの前で正義だの命だの、偉そうに説いているんだ。自分の偽善に、吐き気がする」

彼の視線が、ゆっくりと俺たち一人一人を捉えた。 「それなのに、お前たちはどうだ。SNSを開けば、幸せそうな顔ばかり。成功しただの、家族が大事だの……。まるで、あの夜のことなんて、何もなかったみたいに。それが、許せなかった」

航の目に、静かな狂気が宿る。 「俺はただ、皆にもう一度思い出してほしかっただけだ! 俺たちが何をしたのか! そして、一緒に罪を償いたかった……本当だよ……」

「じゃあ、翔太くんは……」 莉乃が、震える声で尋ねた。

「殺してない!」 航は絶叫した。 「俺は殺してない! あいつが死んだのは、計算外だ! こんなことになるなんて、思ってなかったんだ!」 計画が破綻した仕掛け人の、惨めな叫びだった。

その、魂の叫びが引き金になったのかもしれない。 隅で泣きじゃくっていた美咲が、突然、金切り声を上げた。 「私のせいよ……全部、私のせい……!」

彼女は、壊れたように語り始めた。 現在の家庭生活がうまくいっていないこと。夫に相手にされず、孤独だったこと。 美しい思い出だったはずの学生時代にすがるしかなかったこと。 「私が、ユキちゃんが俊介くんと二人で話しているのを見て、莉乃ちゃんに言わなければ……! きっと、何かあるんだって、大袈裟に……!」 些細な誤解と嫉妬。それが、あの夜の口論の、最初の火種だった。

「……私は」 次に口を開いたのは、人形のように動かなくなっていた莉乃だった。 その瞳は虚ろで、焦点が合っていない。 「私は、ユキがいなくなればいいと、ずっと思ってた」

「航が、ずっとユキのことばかり見てたから。親友だって言ってたけど、私のことも見てほしかった。……あの夜、航とユキが言い争っているのを見て、これで航が私のものになるかもしれないって、心のどこかで喜んでた……」 聖女のような仮面の下に隠されていた、歪んだ愛情と醜い本性。

断片的な告白が、パズルのピースのように組み合わさっていく。 俺の頭の中で、十年前のあの夜が、残酷なまでに鮮明に再構築されていく。 俊介の横領。それを知ったユキ。美咲の誤解と嫉妬。莉乃の歪んだ恋心。航の焦り。翔太の野次馬根性。そして、見て見ぬふりをした、俺の臆病さ。

俺たち全員の、小さな悪意と保身が連鎖して、一人の人間を崖っぷちへと追い詰めていったのだ。

ほとんどのメンバーが、自らの罪を認め、床に崩れ落ちている。 その地獄絵図の中で、ただ一人。 赤坂俊介だけが、苦々しい顔で腕を組み、俺たちを見下ろしていた。

俺は、静かに彼に向き直った。 「これで、十年前の嘘はほとんど暴かれた。残る謎は、あと二つだ」

俺は、一歩、俊介に近づいた。 「お前がユ-キから奪おうとして、今も隠し続けているもの。そして」

俺の声が、氷のようにリビングに響き渡る。 「お前が、翔太にしたことだ」

クライマックス:すべての告白

俺の言葉に、俊介の眉がぴくりと動いた。 彼は、まだポーカーフェイスを崩さない。 「くだらない憶測を並べるな、和也。翔太は事故死だ。それ以上でも、それ以下でもない」

「そうか?」 俺は続けた。 「十年前のあの夜も、お前はそう言ったな。『ユキは事故で落ちた。俺たちは何も見ていない』って。お前のその言葉で、俺たちの嘘は始まったんだ」

「ふざけるな! あの時、それに賛成したのはお前ら全員だろうが!」 俊介が激昂する。彼は、責任を俺たち全員に分散させようと必死だった。 「今さら聖人ぶるなよ、和也。お前も、俺たちと同じ、罪深い嘘つきの一人だ」

「ああ、そうだ。俺も嘘つきだ」 俺は、その事実をはっきりと認めた。 「十年前に、俺はお前からあるものを預かった。そして、それをずっと隠し持っていた」

俺はポケットに手を入れると、一つの小さな物体を取り出し、ローテーブルの上に置いた。 カタン、と乾いた音を立てたのは、古びたUSBメモリだった。

他のメンバーは、それが何なのか分からない、という顔をしている。 だが、俊介だけは違った。 彼の顔から、急速に血の気が引いていくのが分かった。

それを見た瞬間、俺の脳裏に、封印していた記憶が鮮やかな色彩と共に蘇る。

十年前の、あの夜。崖の上。 「やめてよ、俊介くん!」 ユキの悲鳴が、夜の闇に響いていた。彼女の手には、今、目の前にあるのと同じUSBメモリが握られている。 「この中身、明日、先生に話すから! あなたがサークルのお金を盗んでた証拠、全部ここにあるんだから!」

「やめろ!」 俊介が、獣のような雄叫びを上げてユキに掴みかかった。 それを止めようと、航が、莉乃が、美咲が、翔太が、そして俺が、もつれ合うように二人を引き剥がそうとする。 パニック。怒号。悲鳴。 その混乱の渦の中で、誰かの腕がユキを突き飛ばし、誰かの足がユキを躓かせ、そして、誰かの無関心が、彼女を見殺しにした。 最後に見たのは、崖の向こうへ消えていく、ユキの驚いたような目だった。

俺は、現在へと意識を戻した。 目の前には、十年分の罪に顔を歪ませた、かつての仲間たち。

「翔太は、このUSBのことを知っていた」 俺は、検事のように、冷静に最後の推理を語り始めた。 「あいつは、このことをネタにお前から金を脅し取ろうとしていた。違うか?」

「……」 俊介は、何も答えない。それが、何よりの答えだった。

「航が作ったこの状況は、お前にとって絶好の機会だった。パニックの中で、邪魔者の翔太を消せる。航の復讐劇に紛れ込ませて、完璧な事故に見せかけられる。だから、お前は翔太を殺したんだ」

一瞬の沈黙。 次の瞬間、俊介の口から、空気を震わせるような狂った高笑いが漏れた。

「……ハッ。ハハハ! ああ、そうだ! そうだよ!」 彼の表情が、傲慢なエリートから、醜い犯罪者のそれへと変貌する。 「俺がやった! あのどこまでも嗅ぎ回る、使えねえクズを、この手で崖から突き落としてやったよ! これで満足か、和也!」

開き直った俊介の告白に、莉乃と美咲が短い悲鳴を上げた。 殺人犯。 俺たちの中にいた、本物の殺人鬼の正体が、ついに暴かれた。

「警察に、話そう」 航が、絞り出すような声で言った。俺も、静かに頷く。 それが、唯一残された道だった。

「ふざけるな!」 俊介が吠えた。 「お前らも全員、十年前の共犯者だ! 俺一人がすべての罪を被ると思うなよ! 俺が捕まるなら、お前たちの嘘も、過去も、全部ぶちまけてやる!」

その脅迫に、全員が凍りついた。 その時だった。ずっと黙り込んでいた莉乃が、震える声で、最後の嘘を提案した。

「やめて……もう、誰もいなくなるのは嫌……」 彼女は、懇願するような目で俺たちを見た。 「翔太くんは、事故だったことにしましょう……? ね? そうすれば、誰も傷つかないで済む……」

終わった。 俺は、心のどこかでそう思った。 俺たちの間にあった、友情も、愛情も、最低限の信頼さえも、今この瞬間に、完全に死んだ。

残ったのは、ただ醜いエゴを剥き出しにした、罪人たちだけだった。

エピローグ:嘘の果て

莉乃の最後の嘘は、誰の心にも届かず、ただ虚しくリビングの冷たい空気の中に溶けていった。 誰もが理解していたのだ。 もう、嘘で何かを守ることなどできない。俺たちの間には、守るべきものなど、何一つ残っていないのだから。

誰も眠れなかった夜が明けた。 あれほど荒れ狂っていた嵐は完全に過ぎ去り、窓の外からは、皮肉なほど穏やかな鳥のさえずりが聞こえてくる。 差し込んだ朝の光が、床に散らばるグラスの破片や、俺たちの絶望しきった顔を容赦なく照らし出した。

俺たちは、壊れた人形のように動かない。 時折、美咲のしゃくりあげる声が響くだけ。 俊介は、まるで王座を追われた王のようにソファに沈み込み、航は壁際で膝を抱え、ただ一点を見つめている。 莉乃は、虚ろな目で自分の指先を眺めていた。

俺たちの友情は、昨夜、完全に死んだ。 愛情も、信頼も、淡い思い出さえも、すべて。 残ったのは、憎悪と軽蔑と、どうしようもない自己嫌悪だけ。

やがて、遠くから音が聞こえてきた。 ヘリコプターのローター音。そして、断続的に響くサイレンの音。 橋の復旧作業員が、崖の下に転落した翔太の車を見つけたのかもしれない。あるいは、これが航の計画の、最後の仕上げだったのか。 どちらでも、もうよかった。

音が近づくにつれて、全員の表情から感情が抜け落ちていく。 これから始まる長い尋問を、終わりの見えない裁判を、そして世間からの好奇と非難の目を覚悟した、能面のような顔。 俺たちは、ようやく自分たちが演じてきた滑稽な舞台の、幕が下りることを悟ったのだ。

やがて、山荘のドアが乱暴に開け放たれ、制服姿の警官たちが踏み込んできた。 その光景を、俺はどこか遠い世界の出来事のように眺めていた。

嘘は終わった。 そして、ここからが、俺たちの本当の罰の始まりだ。

登場人物、全員嘘つき。 ああ、そうだ。俺も、お前も。 誰もが自分を守るためだけの嘘をつき、互いを傷つけ、破滅へと向かっていった。 滑稽で、哀れで、救いようのない嘘つきたち。

俺たちは、ようやく自分たちの物語の、本当のエピローグにたどり着いたのだ。 その結末に、救いなど、どこにもありはしなかったけれど。

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