彼のイヤホンから流れる歌が、復讐の合図だった。
あらすじ
多摩川の夕暮れ、いつもの帰り道。僕、湊の隣には、親友の蓮がいる。クラスの主犯格から執拗ないじめを受ける彼は、いつもイヤホンで「ある歌」を聴き、感情を押し殺していた。
「ウイルスだって、自分を守るために姿を変えるんだ」
そう呟いた蓮の瞳に、今まで見たことのない静かな炎が宿るのを僕は見ていた。
学校中が熱気に浮かされる文化祭を数日後に控え、蓮は人が変わったように準備に没頭し始める。その横顔に浮かぶのは、 قربانとしてではなく、冷徹な計画者の表情だった。
そして、祭りの日。全校生徒のスマートフォンが、静かな復讐劇の共犯者に変わる。僕だけが知っている。彼のイヤホンから漏れていたあの歌が、この惨劇の序曲だったことを——。
登場人物紹介
- 湊(みなと) 本作の語り手。ごく平凡な男子中学生。いじめられる親友・蓮を助けたいと思いつつも、何もできずにいる自分に無力感を抱いている。蓮の変化を最も近くで感じ、彼の計画に気づいていく。
- 蓮(れん) 湊の親友。物静かで、自分の世界を持っている。クラスで執拗ないじめを受けており、いつもイヤホンで音楽を聴いている。内に秘めた激情と、大人びた冷徹さを併せ持つミステリアスな少年。
- 木村(きむら) 蓮をいじめる主犯格。クラスのスクールカースト上位に位置し、力で周囲を支配している。彼の無邪気で残酷な振る舞いが、物語の引き金を引くことになる。
序章
夏の最後の匂いがした。 陽に焼かれた土と、川面の湿気を孕んだ草いきれ。
多摩川の土手。 僕たちだけの聖域だった場所。
対岸に見える川崎の工場地帯が吐き出す煙は、茜色と群青が溶け合う空に、諦めたように滲んでいく。 規則正しく鉄橋を渡る京王線の金属音が、世界の律動のように遠くから響いては消える。 世界はもうすぐ、夜という静かな闇にすべてを委ねようとしていた。
先週、僕はこの辺りでスマートフォンを無くした。 部活の帰りで、疲労と弛緩した精神が、ポケットへの意識を曖昧にさせていたのだ。 写真も、連絡先も、くだらないゲームのデータも、僕の世界の半分以上が詰まった小さな硝子の板。
半ば諦めていたそれを見つけ出したのは、親友の蓮だった。
警察に届けるでもなく、GPSアプリに頼るでもない。 蓮は僕が最後に投稿したSNSの写真一枚から、それを見つけ出したのだ。
「湊の瞳に、この給水塔のてっぺんが映ってた。ほんの僅かな点として。あと、写真の右上隅に写ってる雲の形。昨日の17時頃の気象データと照合したら、風で流れる方角はこっちだったから」
まるで、世界が僕たちとは違う解像度で見えているかのように、蓮は淡々と事実を述べた。 その時の、難解なパズルを解くような静かな集中力と、見つけ出した後の、何の感情も浮かべない凪いだ瞳を、僕は妙に鮮明に覚えていた。 そこには、友人を助けたという喜びなど微塵もなかった。 ただ、仮説が証明されたことへの、静かな満足感だけが漂っていた。
今、その蓮が隣に寝転んでいる。
彼の白いシャツから覗く腕は僕より細く、太陽の光を吸い込むことを拒むように青白い。 その頬には、まるで滲んだ絵の具のような、消えかけの青い痣が痛々しく残っていた。 三日前、クラスの支配者である木村に殴られた痕だ。 理由は、ない。 ただ、蓮が木村の機嫌を損ねるタイミングで、そこにいただけ。
僕自身も、木村には煮え湯を飲まされた経験がある。 中学に入ってすぐの頃、まだ教室の力関係もわからないまま、木村の内輪向けのジョークに愛想笑いをしなかった。 その翌日、僕の教科書は教室のどこからも消え、最終的には女子トイレのゴミ箱から発見された。 木村はそれを「湊の自己管理能力の欠如」としてクラス中に言いふらし、僕はしばらくの間、汚物を見るような視線と嘲笑に晒された。 抵抗すれば、次はもっと陰湿な何かが待っている。 本能的な恐怖が、僕を無抵抗な傍観者の席に、固く、固く縛り付けた。
だから、蓮の痛みも、木村への憎しみも、嫌というほどわかる。 わかるからこそ、何もできない自分が、腹の底から腐っていくようだった。
「……別に、殴られるのが痛いわけじゃないんだ」
ぽつりと、蓮が呟いた。 夕闇に溶けてしまいそうな、か細い声だった。
彼の耳元の白いイヤホンから、いつものVaundyがシャリシャリと漏れている。 『怪獣の唄』。 蓮がここ数ヶ月、まるで聖典のように、あるいは処方薬のように聴き続けている曲だ。
「俺みたいなのが、あいつらの『普通』の中にいるのが許せないんだよ。まるでウイルスみたいにさ。だから駆除しようとする」
その声は、悲しみよりも、何かを冷静に分析する響きを持っていた。 まるで、自分自身を顕微鏡で観察する科学者のように。 蓮はゆっくりと体を起こし、細い指で土手の草を一本、引き抜いた。
「でもさ、湊。ウイルスだって生きてるんだ。自分を守るために、姿を変える」
その言葉に、僕は何も返せない。 蓮を止めたいという真っ当な倫理観と、木村が誰かによって打ちのめされればいいという黒い願望が、胸の中で醜くせめぎ合っていた。 僕たちは二人でいると、いつも世界の被害者のような顔をしていた。 だが、僕の心の中にも、加害者になることを望む怪物がいることを、僕はとっくに知っていた。
イヤホンから漏れるかすかなメロディが、蓮の中で静かに暴れ回る獣の、低い唸り声のように聞こえた。 そしてそれは、僕の内側で眠る獣への、共振音でもあった。
第一章:亀裂
文化祭の準備が始まる一週間前の、澱んだ午後の空気。 移動教室の準備でざわつく教室の隅で、事件は起きた。
木村とその取り巻きが、蓮の机を囲んでいた。 蓮が描いていた、文化祭で使うポスターの原案。 それは、幾何学的な模様と繊細な色彩が絡み合う、緻密で、独創的で、誰もが一目で惹きつけられるようなデザインだった。 蓮の世界そのものだった。
「なんだよコレ、キモいな」
木村はそう言って、蓮のスケッチブックをひったくった。 その動作には、何の悪意も込められていないように見えた。 ただ、そこに落ちている石を蹴るような、あまりに無邪気で、だからこそ残酷な無頓着さがあった。
「なんかさ、お前って普通じゃねーよな。頭の中、どうなってんの?」
嘲笑が、教室の空気を支配する。 数人の女子が、口元を隠してくすくすと笑う。 ほとんどの生徒は、見て見ぬふりをしている。 僕も、その一人だった。 足が床に縫い付けられたように動かない。 何か言えば、次の標的は自分になる。 その恐怖が、なけなしの正義感を、いとも簡単に麻痺させていた。
木村は、蓮が何時間も、いや、何日もかけて描いたであろうデザインを、何の躊躇もなく目の前でぐしゃぐしゃに丸めた。 乾いた紙の断末魔のような音が、僕の耳にはやけに大きく響いた。
そして、ゴミ箱に投げ捨てた。
「もっとさ、こう、フツーでいいんだよ。フツーで」
蓮は、何も言わなかった。 ただ、ゴミ箱に投げ込まれた、かつては彼の魂の一部だった紙の塊を、瞬きもせずにじっと見つめていた。 その瞳には、怒りも、悲しみも浮かんでいなかった。 ただ、何かを観察し、記録し、分析しているかのような、不気味なほどの静けさだけがあった。
その日の帰り道、多摩川の土手で、僕は初めて蓮に謝った。 「ごめん、蓮。俺、何も言えなくて」
蓮は僕の顔を見ずに、遠くの空を見つめたまま答えた。 「別にいいよ。湊が何か言ったって、何も変わらない」
その言葉は、優しさではなかった。 僕という存在の無力さを、的確に、冷徹に指摘するだけの、ただの事実だった。
「それに、いいデータが取れた」
「データ?」
「うん。木村がどういう時に、どういう行動を取るのか。誰がそれに同調して、誰が傍観するのか。よくわかったよ」
蓮はそう言って、初めて僕の方を向いた。 そして、うっすらと笑った。 その笑みが、僕にはひどく恐ろしいものに見えた。 それは、傷つけられた少年の笑みではなかった。 実験の成功を確信した、科学者の笑みだった。
第二章:設計図
文化祭の準備が始まると、蓮は人が変わったようにクラスの活動に没頭した。
あの日の事件以来、彼は木村たちの挑発を、まるでそこに存在しないかのように、柳のように受け流した。 そのエネルギーはすべて、文化祭の準備へと注ぎ込まれているようだった。
特に、クラス展示である「お化け屋敷」の広報物制作と、文化祭実行委員会が作る「公式パンフレット」のクラスページ作成担当に、自ら手を挙げた。 彼のPCスキルとデザインセンスは誰もが知るところであり、木村でさえ、面倒な作業を押し付けられる好機と捉えたのか、反対する者はいなかった。
蓮は、まるで水を得た魚だった。 クラスメイトたちのスマートフォンを「写真の整理を手伝うよ」「いい感じに加工してやるよ」などと巧みに借りては、展示に使う素材を集めているように見せかけた。 誰も彼の本当の目的など疑わない。 むしろ、非協力的だった蓮が積極的に動く姿を、好意的に受け止めている生徒さえいた。
ある夜、締め切り間近の作業を手伝うために蓮の部屋を訪れると、部屋はひんやりとした空気と、PCの冷却ファンが立てる低い唸り声に満ちていた。 まるで、機械が静かに刃を研いでいるような音だった。
蓮はヘッドフォンをしてPC画面に没入しており、僕が入ってきたことにも気づかない。 その横顔は、獲物を狙う爬虫類のように冷徹で、僕は声をかけるのをためらった。
僕が飲み物を取りにキッチンへ立った隙に、PCのスクリーンセーバーが切れ、デスフレップ画面が現れた。 『文化祭資料』と名付けられた、ありふれた名前のフォルダがそこにあった。
好奇心と、言いようのない不安。 その二つに背中を押され、僕はまるで何かに導かれるようにマウスに手を伸ばした。 クリックの感触が、やけに生々しかった。
フォルダの中には、クラス名簿のフォルダが並んでいる。 その中の『木村』というフォルダを開いてしまい、僕は息を呑んだ。
そこにあったのは、おびただしい数のファイル。 木村のSNS投稿の全スクリーンショット。過去に削除されたものまで、克明に記録されている。 彼の行動パターンを分析し、曜日ごとに立ち寄りそうな場所をマーキングした地図。 彼の交友関係を、線の太さで親密度まで示した相関図。 それぞれの人物につけられた、冷徹な分析メモ。
それは、友人への興味などではない。 ターゲットの生態を徹底的に分析し、その急所を洗い出した、狩人のための調査報告書だった。
フォルダの奥には、僕が初めて見る、深海魚のようなグロテスクな怪物のイラスト画像が、一つだけ、不気味に保存されていた。
僕は恐怖で画面を閉じた。 心臓が早鐘を打ち、指先が急速に冷えていく。
ちょうどその時、蓮がヘッドフォンを外して振り返った。 「ああ、湊。来てたんだ」
その声は、いつもと何も変わらない。 だが、僕にはもう、彼のすべてが精巧な作り物のように見えた。
「これ、見てくれよ。お化け屋敷のポスターに載せるQRコード、ちゃんと読み込めるか試してて」 蓮が差し出すスマホには、確かにクラスの紹介ページが表示されていた。 明るく、楽しげで、健全なデザイン。
だが僕はもう知ってしまった。 このQRコードの先に、底知れない闇が広がっていることを。
「蓮、お前……何をしようとしてるんだ?」
やっとの思いで絞り出した声は、自分でも情けないほど震えていた。 蓮は僕の目をじっと見つめた。その凪いだ瞳の奥で、静かな炎が揺らめいている。
「別に? みんなが文化祭を楽しむための、手伝いをしてるだけだよ」
彼は巧みにはぐらかした。そして、僕の肩にポンと手を置き、続けた。 その声は、悪魔の囁きのように、僕の耳に絡みついた。
「湊は、今のままでいいと思うか? 木村が王様で、僕らが奴隷のままで、本当に楽しいか?」
その問いは、僕の心の最も暗い部分を、正確に、抉るように突いてきた。 木村への憎しみ。 何もできない自分への嫌悪感。
「僕は、ただ、物事をあるべき姿に戻したいだけだよ」
蓮はそう言って、再びPCの画面に向かった。 その背中は、僕に選択を迫っていた。 止めるのか。 見て見ぬふりをするのか。 それとも、この静かなる革命に、魂を売るのか。
僕は、何も言えなかった。 黙認という名の、最も卑劣な形で、僕は彼の共犯者になることを選んだのだ。
第三章:祝祭と処刑
文化祭当日。 校内は非日常の熱気と、たこ焼きソースとクレープの甘ったるい匂いで飽和していた。 生徒たちの作った粗雑だがエネルギーに満ちた装飾が、見慣れた校舎を別の生き物に変えている。 誰もが浮足立ち、笑顔を交わし、この一瞬の祝祭に身を委ねていた。
僕の心だけが、鉛のように重く、冷たかった。 校内の至る所に貼られたポスターや、生徒たちの手に渡るパンフレット。 そこに印刷された小さな正方形の模様が、僕にはすべて、時限爆弾のスイッチに見えた。
クライマックスは、後夜祭の体育館。 有志バンドの演奏する、拙いが衝動的なロックサウンドに、生徒たちの興奮は最高潮に達していた。 揺れるスマートフォンのライトが、僕たちの頭上に、偽りの星空を描き出す。
その光景の裏で、「処刑」は静かに、しかし津波のように広がっていった。
最初に異変に気づいたのは、体育館の隅で壁に寄りかかっていた女子生徒だった。 「……え、何これ、ヤバい……」 彼女の声は爆音にかき消されたが、その蒼白な顔と、スマホの画面を食い入るように見つめる目は、隣の友人の注意を引いた。 友人も自分のスマホでQRコードを読み込む。 悲鳴のような息を呑む音が、確かに聞こえた。
一人、また一人と、熱狂の輪から離脱していく。 笑顔が消え、囁き声が生まれる。 スマホの画面と、ステージ近くで盛り上がっている木村の顔を、誰もが見比べている。
噂は、さざ波のように人の間を伝わっていった。 「おい、これマジ?」 「木村のインスタの鍵垢、全部流出してない?」 「ていうか、この音声データ、完全にアウトだろ……」
僕も震える手でパンフレントのQRコードを読み込んだ。 午前中に見た、健全なクラスの紹介ページではない。
黒い背景。 中央に浮かび上がる、あの深海魚のアイコン。 匿名の告発サイトだった。
そこには、木村の「日常」が、彼自身の手によって記録された証拠と共に、悪意を持って緻密に陳列されていた。 後輩を脅して金を巻き上げていることを、仲間内で自慢するLINEグループの生々しいスクリーンショット。 万引きした商品を自慢げに並べた、鍵付きアカウントに投稿されていた写真の数々。 彼が陰で友人たちの悪口を言っていたことを示す、秘密のメッセージのやり取り。
そして、サイトの中央で自動再生された動画に、体育館は完全に凍りついた。
それは、僕たちのクラスの出し物である「お化け屋敷」の内部を映した隠し撮り映像だった。 文化祭の準備中、暗闇の中で木村が後輩を脅し、金を巻き上げている音声が、不気味なほどクリアに記録されていた。
ついさっきまで生徒たちが悲鳴をあげて楽しんでいた場所が、今は生々しい犯罪の現場として、全校生徒のスマートフォンに映し出されている。 この物理的な現実とのリンクが、暴露の信憑性を悪夢のようなリアリティで決定的なものにした。
音楽が止まった。 誰かがバンドの演奏を止めたのだ。
体育館は、水を打ったような静寂に包まれた。 熱気は急速に冷え、好奇心と侮蔑と恐怖が混じり合った、粘度の高い空気が支配する。
誰も木村を直接非難しない。 ただ、遠巻きにスマホの画面と彼の顔を見比べ、ひそひそと囁き合うだけ。 木村は、自分が何によって裁かれているのかも理解できないまま、無数の視線という名の刃に射抜かれ、ステージの照明の下で立ち尽くしていた。 最初は「何の冗談だ」と強がっていた彼の顔から、血の気が引いていくのが遠目にもわかった。
僕は人混みの中から蓮の姿を探した。
蓮は体育館の出口近くの壁に寄りかかり、その地獄絵図を、何の感情も浮かべない瞳で静かに眺めていた。 彼は、いじめられていた頃の気弱な少年ではなかった。 自らの手で作り上げたデジタルギロチンが、ターゲットの社会的生命を完璧に切断していく様を検分する、冷徹な執行人だった。 その横顔は、神々しくさえ見えた。
蓮は僕の視線に気づいた。 人混みの向こう側、僕と彼の目線が確かに交差する。
彼は、ただ一度だけ、小さく頷いた。
それは、共犯者への合図のようでもあり、永遠の決別の挨拶のようでもあった。
そして、誰にも気づかれることなく、静かに夜の闇へと姿を消した。
終章
蓮が仕掛けたサイトは、わずか一時間でインターネットの海から完全に消去された。 まるで、初めから何も存在しなかったかのように。 痕跡は何も残っていなかった。
学校は「外部からの悪質なサイバー攻撃」として調査を始めたが、犯人が見つかることはなかった。
しかし、一度撒かれた毒は、消えることはない。 木村の築き上げた地位と人間関係は、砂の城のように崩壊した。 彼を王様のように崇めていた取り巻きは、手のひらを返したように彼を無視し、新たな標的を探し始めた。 木村は間もなく、学校に来なくなった。 彼の「普通」は、跡形もなく喰い尽くされたのだ。
教室から一つの暴力が消えた。 だが、そこに平和が訪れたわけではなかった。 空いた王座を狙う新たな力関係が生まれ、僕たちの教室は、以前よりもっと陰湿で、疑心暗鬼に満ちた場所になった。 蓮が望んだ「あるべき姿」とは、これだったのだろうか。
数週間後、蓮が街を去る日、僕は多摩川の土手で彼を待っていた。 もう一度だけ、話がしたかった。 彼を止められなかったことを謝りたかった。 そして、心のどこかで彼の復讐を望んでいた、醜い自分を告白したかった。
だが、蓮は現れなかった。
代わりに、一通のメッセージが、僕のスマートフォンに届いた。
『俺は、あいつを殴ってもいないし、触れてすらない。ただ、あいつが隠していた本当の姿を、みんなが見えるようにしただけだ』
そのあまりに無機質な文章に、僕は蓮がもう僕の知っている蓮ではないこと、手の届かない遠い場所へ行ってしまったことを悟った。
僕はスマホの画面を閉じ、一人で川辺に寝転んだ。 イヤホンからは、もう何の音も聞こえない。 僕の世界から、蓮が愛したあの歌は消えてしまった。
親友は、自らの内にいた獣を解き放ち、引き換えに全てを捨てて消えた。 その獣を育てたのは、木村の暴力であり、クラスメイトの無関心であり、そして、僕の沈黙だった。
あの日、僕が彼を止めていたら。
いや、心のどこかで、この復讐を望んでいた僕に、その資格はなかったのだ。
きみが怪獣に変わる日を、僕はただ黙って見ていた。
その罪の記憶を、世界でたった一人、抱えながら。
夕日が沈み、一番星が光る空を見上げながら、僕は友が失ったものと、自分がこれから一生背負っていくものの重さに、静かに耐えていた。 川面を渡る風が、僕の頬を撫でていった。
それは、もう二度と戻らない、あの夏の終わりの匂いがした。
(了)



































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